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2010年09月30日

「内なる声」からの回答その33

ユキです。( ̄▽ ̄)ノ

「内なる声」からの回答です。


ワタクシ :よろしいでしょうか?

内なる声 :いい。はじめる。


<質問>
ユキさん、内なる声さん、こんばんは。今私には悩んでいることがあり、不安でどうしようもなく、ぜひアドバイスを頂ければと思い書き込みいたしました。
悩んでいることとは、必ず合格しなければいけない資格試験に何年も連続で落ちていることです。来年の試験が最後の受験のチャンスで、それ以降は受験資格がなくなってしまいます。最後になる来年の試験は新傾向になるらしく、情報を集めているのですが、「従来の勉強法では絶対無理」、「予備校に行ってないとまず受からない」といったものばかりで、予備校にどうしても通えない私にはどうしたらよいのかわからなくなってしまいました。「予備校に通えなくてもできることをすべてやる」と考えていた私は、いろいろ計画を立てていたのですが、ここにきて「この勉強法は大丈夫だろうか」と不安で勉強したことが頭に入りません。
今までも、絶対合格しなければならないのに集中できず上の空になることが多く、集中できているときはその代わりにと言わんばかりに寝込むほど体調を崩してしまいます。模試の成績はよく、周りからも絶対受かると言われても何年も試験に落ち続け、勉強してもその受験勉強期間に必ず病院に通わなくてはなるくらい体調を崩すといった状況を何回も繰り返すので、まるで試験を受けるなと言われているような気がして諦めるべきなのかと思っています。
でも、この資格をとることは私の夢であり、絶対諦めたくないんです。私はなぜ合格できないのでしょうか?合格するために何が足りないのでしょうか?不安でどうしようもないです。試験を受けるに当たって何かアドバイスをお願いします。
ミミ 09/13 20:31



ワタクシ :この質問にお答え下さい。

内なる声 :そうだね。あなたの頭の中に、「通らなければならない道」というものを見るとして、この試験がどうしてそんなに重要と考えているのだろう。そもそも、ただの「資格を得る」ものであろう?
あなたがしたいことをするのに、それなくしてできないのだと考えているので絶望的になるのを理解できるのであるのなら、そうではないのかもしれない、という考えをもつのなら変われる。
そもそも、「資格をとることが夢」というのは本当のこと?なるほど。資格がとれないのならば、夢は崩壊するというわけだね。とすれば、資格がとれるにしても、夢は崩壊する。そこがあなたの「ゴール」として、夢に終わりを告げ、そしてこれまでの苦しみを終えるというわけ。
何をもってその資格をとりたいと思うのか、それを「どうでもよい」みたいに見事に考えに入れず過ごしているのだね。「そんなことは、資格さえとれたらいいこと」なの?もしそうでないのなら、「資格など、どうでもいいのに」と、自分に言えるのかもしれぬと考えるのは無理なのかな?だって、「資格」によろこびを求めても、ただの「試験を受けた結果」という通過点であろう?


ワタクシ :そうですね。しかし、職業によっては資格がなければできないものもありますし、「その道を閉ざされる」という意味になるのではないでしょうか?

内なる声 :その職を経験していないのに、どうしてそれを天職とする必要をもつ?この者の理由とは、資格をとらねば進まぬという理論に基づいているのだとして、どうしてその道を進んでいくのがよいのだと判断するの?

ワタクシ :それが自分の夢と考えているからだと思うのですが…あなたは、諦めることをすすめているのでしょうか?絶対諦めたくないと言われていますが、どうすることをすすめているのでしょう?

内なる声 :諦めたとして、あなたがどうするのであるのか、考える状況にないのだと知って欲しい。その「資格」を人生のすべてのような考えで過ごすのが、幸せと考えているのかな?それとも、考えの中、「資格さえとれれば、幸せを約束されてるのだ」と思うの?

ワタクシ :「諦めたとして、どうするのであるのか」を考えるのが、大切なのでしょうか?

内なる声 :まず、なぜその「資格」をとって、その後の何を期待しているのかを考えてみる時、「合格しなければ終ってしまうのだ」と考えている。何を終わりにする?そして、何をはじめていくつもり?まだ何もはじめていくよろこびを理解できぬまま、あなたの何を終わりになると考え、おびえているの?
あなたの目の前にある「壁」を超えなければ、あなたは向こうに行けぬと考えている。そして周りには何もない。つまり、その壁がそこに一枚立ちはだかり、あなたは壁の前に座っている。そこに、あまりに長く座り続け、壁が高くなるのを感じている。壁を超えなければ幸せが見えずにいるのだと考える。そして、そのうしろ、つまり「壁の向こう側」を見たことはない。なにしろ、そこで壁を超えることのみを考えているのだ。
おかしい。たしかに壁がそこにあるのだが、周りに逃げ道のない建物に囲まれてはいない。なぜそこを動こうとせず、苦しんでいるのだろう。周りの者が、壁に目もくれず、通り過ぎている。あなたのように壁の前に座り、壁を乗り越えた者もいる。しかし、あなたがその壁の前に座ることを拒否される時、つまり、「受験資格」を失う時、それがあなたの「夢の終わり」というの?
あなたは、壁の前に座るのをやめる。そして、はじめて周りの景色に気づくだろう。おや、ここに壁があるのは確かだが、周りが閉ざされてないのだなと。あなたの目の前に壁をずっと見てたので、「閉ざされていたと感じるのが、この壁の前に居たからであるのだ」と気づく。そして考えてみるのだ。何を終わるの?「壁の前に座ること」を終えるのだ。結果をどうなるものかと心配するもむなしく、あなたがその壁の前に座ることから、とうとう解放される。そうではない?


ワタクシ :たしかに、結果はどうあれ、「壁の前に座ることから、解放される」のだということはわかります。しかし、その苦しみから解放された後、「壁の向こう側に行ける」のか、「壁のないところで何かを考えはじめる」のか、という違いは大きいでしょう。そのためにこれまで、ずっと座ってきたのですから。違いますか?

内なる声 :座ってきたのがあなたの意志なら、立ち上がるのも、あなたの意志でできたはず。しかし、座ることを選んだなら、何が無駄と考えている?あなたの意志により動かせるのは、あなたであり、「壁」にあらず。そして、その「壁」を考える時、あなたは楽しくない。つらい。苦しい。なぜ?
なぜなら、「壁が邪魔してる」と考えるため。いい?「壁」にとって、あなたをそこにおくのを嫌ったことなどなく、ただ、そこに立っているのだよ。あなたは、その「壁」と奮闘している。少なくとも、あなたのことを考え、「座れる期限」をもうけてくれる「壁」に対して。あなたがそこで苦しむ限り、「壁」があなたをなぐさめることはない。「壁が邪魔だ」と考えるあなたを、どかすぐらいしかしてくれない。


ワタクシ :つまり、どうすればよいのでしょう。上の空になったり、体調を崩したりするのはなぜでしょう。模試の成績では絶対受かると言われても、何年も試験に落ち続けるのはどうしてですか?

内なる声 :どうしてかと言われると、それをあなたの考えの中、拒否しているのであり、合格できないと考えているので、そうなるのでない?

ワタクシ :何を「拒否している」のでしょう?「合格するために何が足りないのでしょうか?」ということですが、いかがでしょう?

内なる声 :合格することに苦しむ自分に拒否反応を示すのが、わからない?何を足らずとしているのか、話しておこう。あなたが、「何をよろびとしてそこに向かうのか」という心を足らずとして、あなたの身体が苦しむのだ。
もしもあなたが、その拒否反応を消して試験に臨みたいのであるのなら、どの結果となろうとも、必ずあなたを、そこからよろこびの道へと連れていくのを約束してあげなさい。
あなたがその試験を終えれば、必ずその場から立ち上がり、どの道を行くにしろ、最高のよろこびを与えるところに向かうのだと、あなた自身に約束し、あなたがその試験を受けるのをやめるその日まで、試験を終える頃に探そうとするよろこびついて考えていなさい。
少なくとも、いまの心境で過ごすより、合格に近づけるのだと信じること。また、合格を決めるのがあなたでない限り、結果が、あなたにとっての最善を選択してくれると信じること。それを理解しているのなら、体調を崩すということに苦しむことはなくなる。


ワタクシ :はい。試験が新傾向になるらしいが、予備校にどうしても通えない、ということで不安になることについてはいかがでしょう。

内なる声 :新傾向になるのは、予備校へ通わせるため、決められたことなの?そうでないのなら、傾向について調べ、できることをしてみなさい。
「どうしても通えない」のか…。あなたの言葉には、その傾向をもつ。
「絶対合格しなければならない」「まるで試験を受けるなと言われている」「どうしても通えない」…誰がそう言ってるのだろう?ねえ。思わない?ささやいているのは誰?不思議だね。


ワタクシ :はい…。いろいろ、事情があるのだろうな、と思って読みました。他に言えることはありますでしょうか?

内なる声 :うん。その部分…そうだな、「絶対」として変えられぬ部分について、あなたの考えを話し、再質問をするなら答える。ではここまでとする。

ワタクシ :はい。ではまた来週お会いしましょう。





posted by 秋元ユキ@いい気分ドットコム at 21:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 「内なる声」からの回答

2010年09月24日

「内なる声」からの回答その32


ユキです( ̄▽ ̄)ノ

「内なる声」からの回答です。


ワタクシ :よろしいでしょうか?

内なる声:いいよ。


<質問>
ユキさん、内なる存在さん、初めまして。HP、迷ったときに見ては元気が出ます。
質問なのですが、私は5年ほど前から左目に力が入らないようになってしまい、今現在もそのことでしょっちゅう落ち込みます。落ち込む理由として、目に力が入らないので集中力が持たず、呼吸も苦しくなって人とコミュニケーションが上手くとれないことがあります。日常生活でも目のせいでイラだったりしてしまうときがあり、自暴自棄になってしまったりします。病院に行っても原因が分からず、なかば途方に暮れています。今はいい思考と潜在意識を使って治そうと思っています・・というより、もうそれしか自分には選択肢がありません。
この状態になって思うのは、とにかく人と楽しく話したいという欲求です。人と話すと心の底から喜びが沸き起こるんですが、そのときいつも思うのが、これで左目が治っていれば最高なのに。。という感情です。実質、今は人と長時間コミュニケーションをとるのは困難で、時折この先も目は治らず、ずっと孤独で苦しい思いをしていくのではないか。。。とネガティブになってしまうときがあります。
よく病気はメッセージといいますが、私なりに学んだことはいろいろあります。人とコミュニケーションをとる楽しさや、当たり前のことに感謝することや、スピリチュアルを知ったのもこの病気のおかげです。今、私は学びの段階にいるのでしょうか?この病気を真剣に乗り越えたいと思っている自分がいます。私のセルフは、私になにを伝えたいと思っているのでしょうか?教えてほしいです。お願いします。
アイス 09/0620:39



ワタクシ :この質問にお答え下さい。

内なる声 :うん。まず、このことを考える前に、どうしてそのようなことを理解する必要をもっているのか、ということについて話す。
あなた方の中に、何かの欲求を満たしたいと考える時、「このことがなければ考えなかった」とすることをもって、現れることがあると思う。そして、そのことを理解した時、あなた方が真っ先におこなうことは、感謝して、愛を理解しようとするのでなく、邪魔になる原因を取り除く行為であるのだとわかるはず。つまり、そのことが起こらなければわからないことだった多くの理解を得、その後、そのこと自体について、「もういい」としたいのにできない、というわけ。それを理解できる?


ワタクシ :はい。この場合、「その症状がなければ、考えなかった」とする多くのことを学んだが、現在、「目に力が入らないこと」自体について、治りたいが治らない、ということだとわかります。
どのように考えればよろしいのでしょうか?

内なる声 :治りたいけど、治らない。そうではなく、「治らないこと」に意味をもつのだと考え、苦しんでいるのを理解できる?

ワタクシ :うーん…「治らないこと」に意味をもつのだと考え、苦しんでいるのではなく、やはり、「治りたいけど、治らない」ことに苦しんでいるのだと思ったのですが…
そもそも、「このことがなければ考えなかった」とすることが現れること自体が、自覚のないことなのではないかと思うのです。その症状が現れたときから、「なぜこうなったのかわからない」という気持ちを持っているのだと思うのです。

内なる声 :なるほど。あなたが話しているのは、こういうこと?
「まず、何であるのか、わからないが、このようなことが起き、それから、治りたいのだと考えながら、それでも多くのことを学んだと知っている。しかし、治らない限り、私が幸せになれないのであるのがわかっているので、どうすればいいのか知りたいのだ」と?


ワタクシ :そうでないのでしょうか…?多くのことを学び、もちろん感謝もしているけれど、その症状に苦しんでいるということから解放されないと、どうにも苦しいのではないでしょうか。

内なる声 :どうにも苦しいのはわかるのだが、もしそのことがなければ、よろこびを感じなかったことについて理解したのであるのに、そのことを除外して考えようとするのはなぜ?

ワタクシ :例えばこの場合、「人とコミュニケーションをとる楽しさ」を理解できたのに、その症状のせいで、コミュニケーションを取れずにいるのなら、どうすればいいのかわからないのだと思うのです。

内なる声 :あなたの話を、このまま進めても、解決しない。「治りたいのだが、治らない」のでなく、まず、「治らない意味」を考えている。そのことを自覚して欲しい。「治らない」ことに苦しんでいるので、なぜ治らないのか、知りたいと考えている。それはわかる?

ワタクシ :はい…。なぜ治らないのか、知りたいと考えているのがわかります。

内なる声 :なら、なぜ治らないのかを、教える。あなたが、治らずともよいとする、何らかの気持ちを未だ解消できていない部分をもつので、治らない。このことを自覚することは難しいけれど、よく聞くように。
まず、あなたにとって、困難であることが現れた時、それ自体を、あなたが望んでいる。なぜかと言えば、あなたにとって、そのように「わからない症状」を現すメリットを感じる心があり、それ自体を身体に現すことで、「しなくていい」とする考えをもつことを許可される。あなたが「したくない」とすることを、「しなくていい」メリットをもつ症状を、あなたに呼び寄せているのがあなた自身であった。そして、それをあなたの心の中におさめ、多くの学びを得、「しなくていい」ものを残しつつ、「不快である症状を消そう」とするので、消えない。以上が説明となるけれど、わかりにくいと感じるのなら、あなたがもともと、そのように嫌なことを考えて、その助けとなりそうな出来事を呼び寄せてきたというところに立ち戻り、その上で、まだその心を残しているのだと知って欲しい。


ワタクシ :「しなくていい」メリット…病気のような症状が現れるとき、何らかのことを「したくない」と考えていて、それを、「しなくていい」ための症状を、自ら呼んでいるとおっしゃっているのですか?

内なる声 :そう。あなたの場合、そのことを自覚してみれば、私が言っている意味を理解しやすくなる。何らかのことを「したくない」とするものを残しつつ、解決しようとするのが難しい。しかし、そのような状況で、理解を進め、「改心してきた」と考えている。だが、そうではないのだよ。

ワタクシ :それをこの方が自覚されているかどうかはわかりませんが、そうであるとして、どうすればよいのでしょう?

内なる声 :どうすればよいのかと言えば、理解できるのだとわかればいい。あなたが理解できていないことを、これまでもその症状をもって多く理解している。その感謝を理解していけるのだと考えるといい。

ワタクシ :しかし、「今は人と長時間コミュニケーションをとるのは困難で、時折この先も目は治らず、ずっと孤独で苦しい思いをしていくのではないか。。。とネガティブになってしまう」と言われています。
「今、私は学びの段階にいるのでしょうか?この病気を真剣に乗り越えたいと思っている自分がいます。」と言われています。多くのことを理解できるのはいいですが、症状のせいでつらいと感じていて、「その感謝を理解していけるのだ」と考えるのは、難しいのではないでしょうか。

内なる声 :いい?症状を「つらい」のが、あなたのコントロールでなんともできないのだと考えるのをやめて欲しい。
あなたがその症状をなんとかできないのは当然であるのだが、あなたが「つらい」のを、なんとかできないのではない。あなたがなんとかできるのが、「つらい」と感じることをやめようとすることだけと知ること。難しいのはわかっている。しかし、あなたがそうしないのなら、理解を進められない。


ワタクシ :理解をどのように進めればよいのでしょう?きちんと理解できれば、治るのでしょうか?

内なる声 :理解することにより治ると考え、あなたが理解を進めるのなら、治らない理由をもたない。しかし、あなたにとって、理解を進めていくのが、「その症状のせいで困難」と考えているのなら、進まないと言っている。
あなたが理解すべきことが何であったのかがわかるのは、その症状を考えずに、あなたの道を進むことを考えようとするときであるのだよ。症状をあなたなりにおさめつつ、理解を進めるということを求められている。これが高度なことだとわかるのなら、きちんと高度に対する心がまえをもちなさい。「できるかどうか」を考える余地がない。そう書いてあるのだろう?


ワタクシ :「あなたの道を進む」とは、具体的にはどうすることなのでしょう。「症状のことを考える」のでもなく、「人とコミュニケーションをとる」ということでもないのでしょうか?

内なる声 :人とコミュニケーションをとることを困難としていて、しかしそれをあなたのよろこびとしているのであれば、そこにあなたの「できること」を見出し、症状とうまく折り合いつつ、何かを進めることを考えなさい。他にやりたいことがあるのなら、症状の楽な時をみて、そこを進めようとしなさい。
「症状がないのだとして、したいこと」を、あきらめるのが嫌なら、「症状があったとして、したいことをもっとできること」を考えなさい。
症状がなかったとして、延々と人としゃべれれば、幸せなの?何を幸せとして行動したいのか、もっと考え、症状を脇に置いてそのことのみを考えなさい。


ワタクシ :難しいですね…。そうすれば、自ら呼び寄せた、「しなくていい」メリットというような心を、消せるのでしょうか。つまり、治る方向に向かえるのですか?

内なる声 :あのね。「治りたいのだからそうする」のを、やめなさい。そうであるのだから、あなたが何も得られないのだと知って欲しいのだ。「治らないとして、そこに動けずに立ち止まる自分のことを、何とか前へと進めてやりたい」と考えて欲しい。そこに、「理解」が待っているのだと言っている。そうでないのなら、そこに立ち止まり、苦しむことを選んでしまう。
いい?このことを理解できる時、「こうでなければ、考えなかっただろう」と、心の底に理解できることを得る。「こんなことが起こらなければ、苦しんで知ろうとせずにいたら、できずにいたことだったろう」と、心底理解できる。だから、あなたを、その場にうずくまってしまうあなたのことをいたわりつつ、それでも前へと進めることをしてやりなさい。
わからないことがあるのなら、いつも答えよう。しかし、まずはそれを考えてごらん。わかったね。


ワタクシ :わかりました…。では、「病気を真剣に乗り越えたい」と考え、症状のことを考えるのは、しない方がいいのですよね…?

内なる声 :症状を考える時、あなたの心をつらく感じる「思考」に身をまかせることを一切やめ、違うことを考える。あなたが、前に進める方法。その症状をいたわりつつ、何とかできるようなこと。もっと楽になれそうなこと。何かアイディアを見出すこと。他に、しようと思えること。できなければ、ゆっくり休もう。
どんなによろこびを感じることが、自分にとって困難であるのかを考えず、あなたの症状をそこにあるとして、脇に置く。もちろん、あなたがすることを高度なことと自覚して。それでいい。


ワタクシ :わかりました。まずは、そこからということですよね…。この場のお話しで、すべてを理解することは、難しいように思えます。いかがでしょうか?

内なる声 :そうだね。今後、こういったことにまつわる、考えの基本的なところを、もっと理解することができるよう、工夫していこう。いろいろ、考えているよ。

ワタクシ :そうですか。「私のセルフは、私になにを伝えたいと思っているのでしょうか?教えてほしいです。」ということですが、いかがでしょう?

内なる声 :あなたのセルフが、今日話したことを、一番伝えたがっているよ。あなたの道を、進めてやりたいのだと。わかったかな?

ワタクシ :はい。他にありますか?

内なる声 :今日、わかったことと、わからないことを、まずあなたなりに考えてみること。いいね。

ワタクシ :以上ですか?

内なる声 :ではまた。

ワタクシ :はい。また来週お会いしましょう。




posted by 秋元ユキ@いい気分ドットコム at 03:49| Comment(1) | TrackBack(0) | 「内なる声」からの回答

2010年09月16日

「内なる声」からの回答その31

ユキです( ̄▽ ̄)ノ

「内なる声」からの回答です。


ワタクシ : よろしいでしょうか?

内なる声:どうぞ。


<質問>
ユキさん、内なる声さん、はじめまして。いつもこちらのサイトのコンテンツを読んでは、新鮮な気づきを頂いております。本当に素晴らしい内容を届けてくださりありがとうございます。
今日は恋愛で悩んでいることがあり、何か今の私にアドバイスを頂けたらと思い相談させていただきました。今私には3年ほど片思いしている人がいます。その人とは現在ほとんど会うことがありません。その人とは普通に話すことは話すのですが、特にプライベートで遊びに行くなどはありません。いつもの私だったら、プライベートでの接触が無い時点で好きになったりしないのですが、今回はその人の側にいる(お互い何も話したりせず、ただ側にいるだけ)とまるでお互いの気が溶け合うような強烈な一体感を感じたことで好きになり、今になっても忘れることができずにいます。
しかし、一体感を感じつつも同じくらい強烈にコンプレックスを刺激され、それ以上距離を縮めることを躊躇っています。こんな強烈な一体感を感じるのはその人が初めてだったので、その人の側にいたいと思うのですが、付き合いたいかというと付き合いたいとは思いません。なので恋愛感情ではないのではないかと自分で思ったのですが、彼が女性と仲良くしてたり、誰かと結婚するかもしれないと思うと絶望感がわきます。この「好きだけど付き合いたいとは思わない」、「一体感を感じて側にいたいと思うけどコンプレックスも感じてしまい辛くなる」という矛盾した気持ちのお陰で身動きがとれず、宙ぶらりんな状態がとても辛いです。
せめて強烈に感じた一体感が何なのか分かれば、もう少し気持ちも明瞭になって進むなり諦めるなりできると思うのですが…。この強烈な一体感は何なのでしょうか?好きだけど付き合いたいとは思わないのは、コンプレックスを感じること以外にも何か原因があるのでしょうか?いい恋愛をする為に必要な心掛けなどありましたらアドバイスをお願いいたします。最後になりましたが、猛暑が続いておりますユキさん、お忙しいと思いますがお身体ご自愛くださいませ。
ねね 08/3020:32


ワタクシ :うれしいメッセージを添えていただき、ありがとうございます。この質問にお答え下さい。

内なる声 :そうだな。この者の言うことを考えているのだけど、なぜそのように付き合っていこうとすることにこだわっているのだろうと思って。何をそんなに悩むことがあるのだろうかと思っている。あなたの意見について聞かせてくれない?

ワタクシ :え?何をそんなに悩むことがあるのだろうかと思ってるのですか?

内なる声 :そう。悩むところを何としてるのか、わかる?

ワタクシ :悩むところを何としてるのか…?「好きだけど付き合いたいとは思わない」、「一体感を感じて側にいたいと思うけどコンプレックスも感じてしまい辛くなる」という矛盾した気持ちのお陰で身動きがとれず、宙ぶらりんな状態がとても辛いです、と書いていらっしゃると思うのですが…?

内なる声:それを、どうして悩んでいるのだろう。あなたにはわかる?

ワタクシ :自分の中でわからない気持ちがあって、進むなり諦めるなりしたいができない、と書いていらっしゃると思うのですが…本当に「どうして悩んでいるのかわからない」と思っていらっしゃるのですか?

内なる声:どうして悩まなくていいものを、悩んでいるのかわからないと言ってるのだけど…そうだな。「悩まなくていい」と思わないので、悩んでいるのだとわかる?

ワタクシ :はい。前に進めないので、「悩まなくていい」と思わないので、悩んでいるのだとわかります。

内なる声 :なら、どうして前に進めないのか、わかる?

ワタクシ :それを質問されているのだと思うのですが…教えてください。

内なる声 :何を悩んでいるのか、わかってないので、そうなる。あなたの考えによると、「付き合いたいと思わないのに、あきらめられない」と言っているのでなく、「自分の心に一体感を感じているのに、付き合いたいと思わない」と言っている。
悩んでいるのは、コンプレックスのせいだと書いているのなら、そのせいで付き合うことを躊躇しているのだと思っているのなら、この彼に限らず、付き合っていくとするものそのものを躊躇しているのであり、「好きなのに付き合えない」のでない。それを、まるで「一体感を不思議」と感じたり、「付き合いたくないのがおかしい」と思ったり、「前に進めない」と考えたりしてるのが不要。
好きでいるが、コンプレックスを感じて付き合いたくないのでなく、自分に自信をもてないので言いだせないということを、複雑に考え、付き合わずにいるのを選んでいて、そしてそのあと、前に進めないと困っている。
ところで、「付き合う」ということについて考えてみる時、どうなるのかもわからないのであるのに、そのことを頭から除外し、自分の中で整理して片づけようとしている。何を悩んでいるのかわからないというのは、あなたが理解できないことばかりを考えて、答えを探そうとしているので。
理解したいのなら、彼とどういう関係になりたいのか、それのみを考えてみればいい。「このままの関係」でいたいのか、「もっと遊びに行けたらいい」と思うのか、「付き合う気はないが、興味をもって友人として話をしたい」のか、何を求めるのだろう。それで、彼がそれを受け入れるのかどうか、そんなこと、まだ何もわからず、それさえも拒否されるのを怖いとして、何を悩んでいるのだろう。放っておくなら、そのまま放っておくのがいい。彼にとって、あなたの気持ちを知らないままに、いつもの日々を過ごすだろう。


ワタクシ :おっしゃることはわかるのですが…うーん…
「好きだけど付き合いたいとは思わないのは、コンプレックスを感じること以外にも何か原因があるのでしょうか?」という質問をされてますが、あなたは、コンプレックスのみが原因だと言われているのですか?

内なる声 :コンプレックスそのものでなく、自信のなさを理由に、自分で躊躇しているのだと書いてある。それだけ。

ワタクシ :「せめて強烈に感じた一体感が何なのか分かれば、もう少し気持ちも明瞭になって進むなり諦めるなりできると思う」と言われています。「この強烈な一体感は何なのでしょうか?」ということですが?

内なる声 :あなたが、彼に感じている素直な感情。それが恋愛的感情なので、好きなのでしょう?

ワタクシ :「付き合いたいかというと付き合いたいとは思わないので、恋愛感情ではないのではないかと自分で思ったのですが、彼が女性と仲良くしてたり、誰かと結婚するかもしれないと思うと絶望感がわきます」とのことですが、これについてはいかがでしょう?

内なる声 :恋愛感情というものを、どうとらえるにせよ、付き合いたいかどうかは別として、あなたの感情は「ジェラシー」なのだから、彼にとって、どのような存在でいられるのを「とられる」のが困っているのかを考えるのなら、わかると思う。他の人にそうさせたくないのが、なぜそうさせたくないのかを考えると、答えはでる。自分をみて、他の人を考え、「うらやましい」と感じるのを「ジェラシー」というのであるのだよ。わかる?

ワタクシ :うーん…ちょっと考えてみたのですが、たしかに恋愛的感情を感じても、いざ付き合ってみたらきっと、「合わないだろうな」というふうに感じる、というのとは違うのでしょうか?だから前もってブレーキがかかってるような状態というか…よくわからないですけども…

内なる声 :その感情を分析してみても、理解できない。何をもってあなたの気持ちを苦しくしているのかといえば、「どうするべきなのか」を理解したいのだと思うのだから、苦しいのだとわかるはず。だから、「どうもしなくていい」として、「どうしたい」のかを考えてみてはどう?

ワタクシ :それがわからないのだと思うのです。

内なる声 :わからないのなら、わかるのを待ち、放っておくのをできない理由を考えよう。

ワタクシ :彼の存在が原因で、進むことも諦めることもできないと考えており、彼が女性と仲良くしてたり、誰かと結婚するかもしれないなど、考えてしまうのが、放っておくのをできない理由として、どう考えるのをすすめていらっしゃるのですか?

内なる声 :当然のことだと考え、それでどうしたいのかを考えよう。
あのね、付き合いたいと思ってないのでしょ?なら、あなたにできるのは、放っておくのか、諦めるのか、他の人と付き合うのか、になるのだとわかってない。何度も「付き合いたいと思わない」と言いつつ、わかってないのだよ。付き合いをもたないのを選んでいるのに、何を悩んでいるのかが、わからない。わかってくるものがあるだろう?


ワタクシ :はい…。そういえば、何度も「付き合いたいと思わない」と言ってらっしゃいます…。私も複雑に考えてしまいましたが、「付き合いたいと思わない」のなら、あとは自分の気持ちの問題ですね…確かに。
しかし、「片思い」という感情は、苦しいし、不思議なものですね。「それにどんな意味があるのか」と考えてしまうのだと思います。それについてはいかがでしょう?

内なる声 :付き合ったからといって「両思い」だと言えるのでもないし、「片思い」だからといって苦しいのでもない。お互いに何も生んでいない恋愛を思う時、苦しいと感じる。それを複雑にとらえるより、まず、恋愛というものをどうとらえるのかを考えて動くのをやめ、あなたがしたいようにしてはどう?
会えることが少しでもあるのなら、あなたの好意を示せばいいし、他の人と付き合いたいのかどうか、考えてみればいい。つらいのが何かを考えてみると、「何も生まない考えを繰り返しているから」という理由であるだけとわかる。
何をどうしたいのであるのか、考える機会を得ているととらえ、コンプレックスをなくしたいのか、よい恋愛に巡りあいたいのか、それともあなたのコンプレックスをそのままヨシとしてくれる人を探したいのか、この機会に理解できるのだと考え、よく見つめてごらん。


ワタクシ :はい。「いい恋愛をする為に必要な心掛けなどありましたらアドバイスをお願いいたします。」とのことですが、いかがでしょう?

内なる声 :「いい恋愛」って、どんな恋愛?
それを決めるのが、あなたと知るのを心掛けてみてはいかが?


ワタクシ :わかりました。他にありますか?

内なる声 :あなたの気持ちがはっきりしてから、また質問をしたいなら答える。それではまた来週。

ワタクシ :はい。来週のメルマガは、お休みをいただきます。個人サポートは続行しております。
ではまた来週 (⌒▽⌒)ノ




posted by 秋元ユキ@いい気分ドットコム at 20:49| Comment(1) | TrackBack(0) | 「内なる声」からの回答

2010年09月10日

「内なる声」からの回答その30

ユキです。( ̄▽ ̄)ノ

「内なる声」からの回答です。


ワタクシ :よろしいでしょうか?

内なる声 :いいよ。


<質問>
ユキさん、内なる声さま、はじめまして。 過去ログにさかのぼり、とても興味深く拝見しました。
さて、私の「したいこと」の1つは外国語の学習です。 時には勉強が面倒ですが、毎日、少しでも続けたいと思って壁に例文を張ったり、通勤中に耳から聞いたりしています。
しかし、家族は私が勉強しているのが気に入らないらしく、 私が勉強していると、「止めろ」といいます。邪魔されると、 急に「本当に勉強したい」と思い、邪魔されないと「今日は さぼってもいいかな」という気分になります。あまのじゃくですね。
でも心の底では、「勉強すれば、必ず新しい人生と視界が開ける」 とわかっているので、地道に続けようと思っています。 語学では、基礎の勉強は余り楽しくありませんが、実際に外国に行って話すと楽しいです。でも、このサイトを読んでいるうちに、目的よりも、その過程を楽しむことが重要だと見えてきました。「ゴールを目指して、つらい山道を重荷を背負って頑張る」方式よりも、 マラソンのQちゃんのように「走っているだけで楽しいんです!」というほうが魂にかなった鍛錬方法なんでしょうか?「ゴールが魅力的だけど、 途中経過が苦しそうな道」をもっと楽しむ方法があったら、ぜひご指導いただけないでしょうか。
izoo 08/30 01:41



ワタクシ :この質問にお答え下さい。

内なる声 :そうだな。まず、なぜそんなに反対されているのかな?あなたにとって、よくないと思われている何かがあるのかもしれないと考えてみたとき、それが何であるか、というところにヒントがあるかもしれないと考えてみることが一つ。
それから、あなたの考えの中、「したいこと」に矛盾があるのではないかと、考えてみるのが一つ。
その二つを考えてみて、何を言おうとしているのかわからないのであれば、あなたが「それをしたいのであるのに、楽しくできていない」と言っているということを自覚してほしい。それを自覚してからでないと、話は進まない。


ワタクシ :そうですね。「なぜ反対されているか」ということと、「したいこと」に矛盾があるのではないか、ということについては、私にはわからないことですが、「邪魔される中おこなっている」ということと、「語学では、基礎の勉強は余り楽しくありませんが」ということが書かれていることにより、「それをしたいのであるのに、楽しくできていない」という気持ちがあるのではないか、ということはわかります。
「ゴールが魅力的だけど、 途中経過が苦しそうな道」をもっと楽しむ方法があったら、ぜひご指導 いただけないでしょうか、ということですが、いかがでしょう?

内なる声 :「途中経過が苦しそうな道」というのが何を指しているのかというと、「ゴールを楽しいもの」と考え、「途中経過は楽しめないもの」だと考えているという、一つの矛盾した考えを述べているだけのことであるとわかるだろう。ゴールは楽しいものであるのかどうか、なぜわかるの?

ワタクシ :え?えー…この場合ですと、「実際に外国に行って話すと楽しい」ということが、わかっているからだと思います。「ゴールを楽しいもの」と考え、「途中経過は楽しめないもの」だと考えているのは、「矛盾した考え」なのですか?

内なる声 :ゴールを楽しむために、あなたのやりたいことを犠牲にしていたり、あなたの考えを曲げていたりしているのが、途中経過を楽しめない原因であると思って欲しい。あなたがすることに、あなたの考えの中、矛盾がないのなら、そのような心境にはならない。つまり、楽しんでゴールに向かう。

ワタクシ :うーん…つまり、どういうことでしょう…どうすればいいのでしょう。

内なる声 :「ゴールに向かう」というのを、まず何としているのかということを、考えてみて欲しい。あなたが理解できている「ゴールの楽しみ」というのは、何か?
それを理解しているのであるのなら、その楽しみを味わうことなく、過程を経て、そこにたどり着くことなどできない。その過程の積み重ねがゴールへと導くのであって、苦しい道を進んで、ついに楽しいのでない。それに、ゴールというものをどう考えているのかというところに矛盾をもっている。ゴールに着いたら、あなたの考えによれば、目的達成することを終え、おそらく楽しみとよろこびをもってそこにいるとすることを続けられない。なぜなら、「ゴールをもって達成した」ことに、よろこびを感じておらず、苦しんだ記憶をもち、「ゴールに思っていたようなものがない」といった気持ちを味わうことも多いため。なぜそうなるのかというと、「ゴールをおあずけ」にしているので、そうなるのだよ。わかってきた?


ワタクシ :「ゴールをおあずけ」にするのでなく、どうするのがよいのでしょうか。

内なる声 :つまり、何を感じていたいのか、ということを中心に考えているのなら、ゴールもその過程にも、同じ気持ちを味わっているのだということ。
マラソンの話がでているのはいいことなので説明してみると、「走って苦しんで、ゴールに着いた時、その順位を気に入らない」、と考えるのがあなたかもしれない、と考えてみよう。あなたが何をどうしたいのか、というところを考えてみて欲しい。


ワタクシ :「走っているだけで楽しいんです!」というほうが魂にかなった鍛錬方法なんでしょうか?とおっしゃっています。
しかし、「ゴールが魅力的だけど、 途中経過が苦しそうな道」をもっと楽しむ方法があったら知りたいのだと…そうか。やはり、あなたの言うように、「楽しくできていない」と言っているのですね。ならば、「苦しそうな道」を、「楽しむ方法」を考えるのではなく、「ゴールも、途中経過も、ゴールの後も、ずっと楽しんでいける方法」を考えればよいということでしょうか?

内なる声 :そんな方法、あると思う?

ワタクシ :はい。「おあずけのゴール」をつくらず、「いま、楽しいと思うこと」をすることです。あなたがいつもおっしゃっていることなので。

内なる声 :なるほど。では、この場合、何をどう変化させるのがよいのだと思う?

ワタクシ :うーん…えーとえーと…
「基礎の勉強」をするのをやめて、外国に行ってしまうとか。もういきなりゴール。夢の達成と実践です。そのための資金を貯めつつ、勉強の仕方を変える!「あまり楽しくない基礎の勉強」を苦しんでおこなうのをやめて、実際に外国に行かないまでも、外国人と会話して覚える!外国人の友達をつくったり、出会える場を増やす!行きたい外国に関連した仕事ができるように考える!そして実践感覚で自信をつけて、いつの間にやら目標達成!
…なんて、この方のいまの状況も、「目指しているゴール」が何かもよくわからなかったので、勝手なことを言いました。スミマセン。
でも、たとえば外国の方が、日本に来て話をしたり、視界を開けたいからといって、「日本語の基礎」を苦しんで勉強しているところを想像すると、日本人として、あまりおすすめできないことをしてると思うだろうな…と考えたりしたのです。

内なる声 :そう。ではあなたが思うに、この者がそのような発想の転換をすることにより、何かを見つけられると考えているのだね。

ワタクシ :わからないですが、これまでのあなたの教えを聞いてきて、「途中経過が苦しそうな道を、もっと楽しむ方法を考える」という質問に対し、「苦しいのであるのに、楽しむの?おかしなことを言っている。」と言われてきたのを知ってるので、やはりその「途中経過」の考え自体を変えるのがいいのかなと思います。

内なる声 :なかなか、よいところにたどり着いている。だから、否定をせず、一つつけ加えておこう。
「したいこと」を考え、途中経過を「苦しいもの」と考える時、その「苦しみ」を「楽しみ」に変えることを考えていくのでなく、まずはその「苦しみ」を必要としているのかどうかを考え、必要であると思うのなら、あなたが最も楽しんでおこなえそうな方法をとることを考えていくこと。
「苦しみの末によろこびをもつ」という考えを、おすすめできない理由に、あなたがその「苦しみ」にこだわっているのであるのなら、意味のないことと気づいて欲しいため。「苦しみ」にこだわるのではなく、「その先のよろこび」にこだわっていないのであるのなら、方法を変えてみること。
たとえば、あなたが考えていることの根本を変えてみなさい。「私がこだわっているのが、私の本当に目指したいところでないから、苦しいと感じているのかもしれない」と考えるのも必要。「私が目指すところに行くための道が、これであるのだとは限らない」と考えてみるのも必要。
「こうするしかない」と考え、その「苦しみ」を「楽しみ」に変える方法を考えていくのでなく、「どうしてもよい。とにかく、たどり着けるのなら」と考えてみるのが、発想を変える、ということなのだよ。


ワタクシ :わかりました。他にありますか?

内なる声 :さて、これで納得のいかない時には、再質問してみて欲しい。ではまた来週。

ワタクシ :はい。質問・再質問は、コメント欄よりお願い致します。
それでは、また来週 (⌒▽⌒)ノ





posted by 秋元ユキ@いい気分ドットコム at 00:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 「内なる声」からの回答

2010年09月02日

「内なる声」からの回答その29

ユキです( ̄▽ ̄)ノ

「内なる声」からの回答です。


ワタクシ :よろしいでしょうか?

内なる声 :いいよ


<質問>
こんにちは。はじめまして。 最近こちらのブログを知り、拝見させていただいています。
早速ですが、親友の愛猫が、家のリフォームの際に、大工さんや大きな音に驚いて逃げ出してしまい、戻ってこないようです。 辛い野良時代を経てやっと慣れてくれて、最近は穏やかな日々を一緒に過ごしていただけに、不憫でなりません。 知らない人間には決して慣れないみたいだし病気持ちなので、外で暮らして行けるはずもありません。 離れているので応援にも行けず、心配しています。
私が出来ることは何かないでしょうか。 その猫はもう戻ってくることができないのでしょうか。 もしご回答いただけましたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
chimama 08/26 12:33



ワタクシ :この質問にお答え下さい。

内なる声 :そうだな。質問に答えるというより、あなたができることをしたいというのなら、するのがいいと思うけど、問題がどこにあるのかということをわかっていないようなので、それについて話しをしよう。
猫がどこに行ったのかということを、理解できないのであるならば、あなたができるのが、友人の気持ちをいたわるということだけになるよね。しかし、あなたの考えるに、「猫がどこに行ったのか」を含むので、「猫が見つかれば解決する」と考えている。
猫がみつかるための方法を理解できないのなら、たとえ応援に行けたとして、「見つからなければ解決しない」になってしまう。
考えてほしいのだけど、あなたの考えの中、「猫が見つかるかどうか」をなくせば、何ができると思っている?たとえ、「猫が見つからない」という事実をずっともっていたとして、あなたにできることが何であるかを知りたいと思う?どうかな?


ワタクシ :どういうことでしょう?何を考えてみればよいのでしょう?

内なる声 :考えなくてもいいのかもしれないのだと、考えてほしい。なぜなら、あなたが何かをしても、それについての現実を変化させることを、可能としていない。すでに述べたようなことを話すのであれば、友人をいたわると考え、あなたができることを猫にもっていくのをやめればいい。見つかるかどうかわからないけれど、友人について良い結果を生むことを願ってそこにいると知らせるのが、あなたのできること。
それからもう一つ。あなたにとって、その猫が「逃げる」という表現をしているが、本人にとって、「逃げている」という意識もない。逃げているのではない。そこから出た、と感じている。それから、あなたが心配するようなことを、必要としない。本人が望んでいるのは、常に、本人の意思でいようとすること。そのことを考えて、あなたの目線からの「幸せが失われる」という考えを、本人の目線と異なっていることに注目してほしい。
本人にとっての幸せが、猫なりに「幸せだった」と感じるかどうかを、理解できる?なら、その理解をするのがどうして可能と考えている?
「可能なこと」を考えるにあたり、あなたは気づく。「何もわからない」と。何が幸せで、何をつらいとしているのか、決めるのはあなたでも、本人の飼い主でもない。


ワタクシ :「本人」というのは、その猫のことですよね。

内なる声 :「本猫」がよかった?まあ、そんなこともあるのでは?今になってまるで、飼い猫を失うようにいわれても、「本猫」にとって何を言ってるのかわからないのだよ。だってそれを、普通と考えている。そこにいる自分について、「かわいそう」などと考えていないもの。あなたのように。

ワタクシ :飼い主にとっては、とてもそんなふうに考えられないですよね。「戻りたいのに、戻れない」のだとしたら、気が気でないし、大工さんや大きな音に驚くようなことがなければ、まだそこにいたはずと考えますよね。それについては、いかがでしょう?

内なる声 :「戻りたいのに、戻れない」のだとしたら、「戻りたい」という意思をもって、戻ることもある。しかし、どちらにせよ、あなたが思うような「幸せ」のあり方ではない。
「そこにいるからこそ幸せ」という考えでいるのをあなたとするならば、そのように考えて生きてるのでないからこそ、出ていくという意思もあると知ってほしい。
「幸せでいられる方法を知らない」のではない。「幸せを、決めるのが自分である」と、常に知っているのが猫である。わかる?


ワタクシ :はい。猫がそういう生き物であるということは、よくわかります。

内なる声 :ならばもう、できることをするだけで、「戻りたいなら、戻る」という、猫の意思に従わせるということを、考えておきなさい。

ワタクシ :そうするしかないのはわかりますが、とてもつらく、難しいのだと思います。

内なる声 :そうだね。まあ、あなたの考えられることをいくら考えて心配しようが、何もわからないのでしょう?猫の「幸せ」も、飼い主の「幸せ」についても。わかっているのが何というのなら、あなたの思うところによって、きっと飼い主と過ごした時間について、あなたの想像どおり、猫も飼い主も良い時間を過ごしていたのだよ。それで、現在の飼い主の気持ちとしては、つらい。猫の気持ちは、わからないのでは?

ワタクシ :つらくないでしょうか?

内なる声 :「つらい」という気持ちをもって、明け暮れてない。

ワタクシ :では、「つらい」のも、そのことを考えているのも飼い主だけなのでしょうか。本当に?

内なる声 :「つらい」のでも、「幸せでなかった」のでもない。「そこからどうするのか」を考え、生きようとする。

ワタクシ :たとえば、ずっと、飼い猫だった場合は?どう考えても困るだろうし、生きれないですよね。

内なる声 :あのね、生きれるかどうかではなく、「困ったなら、どうするのか」と考えるのだよ。怖くてじっとして動かずにいても、仕方ないと知ると動くのが猫。そのままじっとして死んでいる猫を見たことがないだろう。
困っても、つらくても、そこでどうするのかを考え、動く。あなたのような考えをもって動くのでなく、より良い結果に出会えるようなことを求めて動く。それを、「もとの飼い主を探すことでないのか」ということだけに限定しているのが誰か、というものの考えを、猫に学ぶ必要をもってそこにある。あなたの考えと、猫の考えを比較し、どちらを見習うべきものか、知って欲しい。


ワタクシ :そう言われると…猫ってすごいです。まさに、お手本にするべき動物かも。でも、飼い主はやっぱり、戻ってくることを考えて欲しいですよね…。うーん…
一つだけ確認したいのですが、動物が「逃げる」「出て行く」ということは、起こるべくして起こるのでしょうか。つまり、飼い主がどんなに気をつけていても?

内なる声 :「起こらないことが、起こった」というように考えるのが人間の特徴と考えてほしい。猫に聞いてみたい?「気をつけていたら、逃げなかった?」
「何を言ってるのか、わからない」と言うだろう。
「出たくないものを、出したのがあなたでない限り、それが本人の意思」と思えないのが、人間の「コントロールできるもの」と考える、あさはかなものであると知る。何をもコントロールできないものを、猫ならコントロールできるとでも?


ワタクシ :そう言われるほど、私は納得できます…。「出したくない」のは、飼い主なのですね…。もちろん、その方が猫も幸せと信じて。

内なる声 :猫が「幸せ」を求めるものと知るのなら、野良猫であった時にも、飼い猫になった時にも、それを終わりにせずに、「幸せ」を求めると知りなさい。だから、考えるべきことを、「あなたの幸せ」からずらしてしまうのを、やめなさい。

ワタクシ :わかりました。でも、見つかるといいですね。何か、飼い主さんに言えることは、ありますか?

内なる声 :あなたの愛について、猫に祈りを送りなさい。「心配」を送るのを、やめてあげなさい。愛を送り、幸せを得るのだと、信じてあげなさい。

ワタクシ :他にありますか?

内なる声 :ではまたね。

ワタクシ :はい。内なる声へのご質問は、コメント欄よりお願いいたします。
では、また来週お会いしましょう。




posted by 秋元ユキ@いい気分ドットコム at 21:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 「内なる声」からの回答

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