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2011年05月13日

次に進んでいこう


ユキです。( ̄▽ ̄)ノ
「内なる声」との対話を更新します。


ワタクシ :ゴールデンウィークは、朝から晩まであなたのお話を聞いてましたね。
すごい量の原稿がたまって、びっくりするくらい新たに知識が入ってきた感じになってます。
もともと、あなたのお話を聞いて、「自分」のことや、ハイヤーセルフのことを、わかるようにまとめた媒体を作れたらいいなと思って話し始めたことですが、まとまりがつかなくなってきました。どうしようかなあ…。

内なる声 :どうしようかなあって、まとめようとして聞いているのでしょ?

ワタクシ :うーん、そうなのですが…それにしても、よく話されましたよね…
ゴールデンウィークにお話していただいただけで、ざっとA4用紙に80枚ぐらいある状態なのですが…。
その文章を、他の方にただ読んでもらうにしては、ちっともまとまってない文になっていますし、私の中でもまだわかっていないことがたくさんあって、コレどうしようって感じです。

内なる声 :それにしても、よく話したことを、まだ見直してもない状態なのでは?

ワタクシ :はい。まとめるのは後からできると考えて、ゴールデンウィークはとにかく朝から晩までできる限りお話してもらったのですが、こんなに湯水のように溢れてくるとは…。たくさんのことを聞いてきて頭の中がごちゃごちゃしているので、何度か読み直して考えたいですね。一旦、自分の中で理解したことをまとめてみたいのだけど、まだできてません。

内なる声 :まあ、そんなことを考えなくていい。次に進んでいこう。
まだ、足りないのでは?


ワタクシ :え?うーん。そう思うのですが、何が足りてないのかを理解できてないし、何を目指しているのかもまだ見えていません。すごく勉強になる知識だとは思っています。この原稿をわかるように表現して、媒体にしていけたらいいなあ。
だけど、どうしよう。とりあえずいま、いっぱいになりすぎて、わからなくなってきました。

内なる声 :そんなことを考えないで、あなたが理解できているのかどうかを見てはどう?

ワタクシ :そうですね。私はまだ、あまりまだ理解できてないような気がします。私にとって、何を理解し、何を表現していきたいかがまだ見えてません。

内なる声 :では、見えるまで、話の続きとしての知識を得ようとしてみてはどう?

ワタクシ :えーなんだかさらに混乱していくような気がする。
またさらに原稿を増やしていくのですよね。

内なる声 :そうだよ。あなたは、その知識の元になる原稿を増やしていきながら、これまで話したことを理解しているかどうかを見ていけばいい。
どうしてそうしないの?


ワタクシ :だってすでに、手をつけてない原稿が80枚もあるのに…
もう忘れている部分があると思うし、一度じっくり読んでまとめてみたい。自分でまとめて、理解を深めるようにしないと、ただ聞いているだけになってしまう。

内なる声 :いいから、あなたはそういうことを考えながら、もっと聞いてみなさい。
あなたの考えをそこに留めず、ゆっくり理解しようと決めず、次に次にと進みながらやってごらん。
次へと進んだとき、前に話してることもわかってくるかもしれないのでは?


ワタクシ :はい…。なんだか、すごく大変なことになってきたなぁ。
これをどう表現すれば、よくわかるようになるかな?
私は媒体が作れるのを楽しみにしてますが、よくこんなに話が尽きないものだと感心してしまいました。
どこからこんなすごい理論が出てくるのかな?不思議です。

内なる声 :まあ、きちんと理解できてきたら、いろいろ考えもまとまってくる。
あなたにとって、その考えをまとめ、表示しなければ、誰にも理解できないことなのではない?


ワタクシ :そうですね。まず、私が理解しないと、誰にも理解できるものにならないですね。
なんとか、皆にわかりやすいものが作れたらいいなあと思っています。
自分がどれだけ理解できたかによって、その表現がどうなるのかも変わるのでしょうね。

内なる声 :あなたにとってその理解を何であるのかととらえていけば、その表現にかかわる多くの案を見る。
しかし、あなたが何を理解してその表現をしようと思うのかというところを定めていなければ、あなたが理解してないことを表現しようとしてもがくことになる。
何も理解してないうちに、表現しようとしてもできない。
まず、私が話していることの理解をすれば、その表現はいかようにもできると思っていなさい。
つまり、あなたはもっと理解していけばいい。
わからない中にあるものを見つけるのではなく、もっとわかるための話をしていく。
そうしなければ、「自分が何をわからないでいるか」ということしかわからない。
話を聞くというのは、自分が新たに理解できる可能性を広げるということ。
そして、聞いた話について考えるというのは、その理解を自分にとって何とするかを眺めるということ。
その違いを見て、進めるということをして欲しい。
わかった?


ワタクシ :はい。
まだ時間はかかると思いますが、現在、できることを進めていきます。
今回は、以上でしょうか?

内なる声 :では、また。

2011年04月29日

経験へ繋げるということ


ユキです。( ̄▽ ̄)ノ
「内なる声」との対話を更新します。


ワタクシ :ブログを更新したいのですが、よろしいでしょうか?

内なる声 :うん。そうだな、今回は、あなたに必要なことを話してみよう。
あなたが、いまおこなっていることは、これまでの経験から得ているものを教訓として、何をするかを考えたものだね。
いま、あなたが、おこなっていることを挙げてみてはどう?


ワタクシ :いま活動していることを、挙げてみるのですか?
まずは、メルマガやホームページであなたの教えを更新していること。そして、このブログを書いていること。それから、「自分」についての理解を深められる媒体を創ろうとしていること。
それから、メールでのサポートや対面サポートやハイヤーセルフのメッセージを送ったり、日々いろんなことをあなたとお話したりすること。
そういう感じであなたに教わっていることの理解を深めています。

内なる声 :そう。その中に、あなたがよくわかってない作業はある?

ワタクシ :よくわかってない作業…?うーん、わかってないというか、あなたの教えを理解してやっていかないと、どれもできないかな。そうですよね。

内なる声 :じゃあ、あなたが、これまでそうしてきてよかったことは何?

ワタクシ :よかったこと?えー、それはもう、どれも私が驚くばかりのことですよ。
だけど、やっているうちに、慣れるというのは恐ろしい…。いちいち感動することなく、「ああ、更新しないと」と思ってやっていることが多いですね。実際、作業を始めると面白くなって、そして「疲れたー」と思って終えてる感じ。
だけど、私は早く、自分があなたの教えをわかりやすく表現できるようになりたいです。あなたが話すことを理解して、自分の表現によって、明らかにするということを進めたいと、いつも思ってます。

内なる声 :なら、私ともっと話をしないといけないね。
さて、ここで少し考えて欲しいけど、あなたがそんなふうにおこなっていることで、何が変わっているのだと思う?


ワタクシ :うーん。それは、私の理解が進んだり、人生においての理解を深められたり…そして、それを発信することができるのだから、読者の方が何かを得てくださることもあると思っています。
そうではないのでしょうか?

内なる声 :うん。そうなのかもしれないが、あなたが、コントロールすべきところはどこかということを、わかってないのが少し見えているということ。
あなたが、コントロールすべきはどこにある?


ワタクシ :最近、あなたはよく私にそういうことを言われてますが、コントロールすべきことをどこにおいていればよく、どこがいけないのか、ちょっとわからないのです。
私は、「自分の理解を進めればいい」と言われるので、そうしようとしてますが、何かいけないところがあるのでしょうか?

内なる声 :いけないのではない。あなたの理解を進めることを考えるのが、あたりまえなのである。
しかし、そういう考えの中、あなたの理解とは進んでいる?


ワタクシ :進んでいるかどうか、はっきりわからないけど、あなたの教えを聞いてまとめる作業をしているのはすごく勉強になるし、日々、いろいろ考える助けになっているのですが、それだけではいけないと言われているのでしょうか?

内なる声 :だから、そういう作業についておこなっているのを、「進んでいる」と、とらえているのはよくない。しかし、あなたがその作業を理解することで、進むための知識は得られる。
ところが、「そのような知識を必要」と考えるのならば、「その知識のない者は進めないのか?」というと、そうではない。あなたが「進む」というのは、常に自分の意図を反映させているということであるのを知って欲しい。
その方法・その考え・その知識についてのことばかり見ていては、あなたの理解は進められない。
つまり、あなたがしていることとは、「マニュアルを読んでいる」ことなのか、「そのマニュアルを活かし、操作することを楽しむのを進めている」のかという話。
ところで、あなたは、マニュアルを読みながら、実際のその方法を試すということをしている?


ワタクシ :はい。もちろん、あなたに教えていただいていることを、実践しようとして、またわからないことがあれば質問して、それをメッセージとして発信するというように、うまく回しているつもりなのですが…。

内なる声 :そう。ならば、その実践していることが進めば、教えも進むということ。ただ、その「教えが進む」ということが、あなたが「進む」ということではない。
あなたにとって「わからないことを質問していく」ということが必要なのではなく、「質問できるということは、そこまでの考えを理解できている」ということになっていると、わかるのだろう?
だからあなたは、「質問することがない」という状況になることがない。
つまり、あなたという存在の役割とは、必ずその教えを実践し、その実践後の確認をするという作業の提供をしようとするもの。
そうでない教えを、そこに記すだけの役割など必要ない。
いま、それを理解している?


ワタクシ :それは、いつも考えています。私が進まなければ、何もできないなと。
だけど、やっぱり難しいなと思っています。こういう作業を通して、本当にいろいろ感じています。あなたのメッセージを発信しながら、どうすればその実践ができるようになるかも、あわせて考えています。
だけど、読者の方々は、どのようにこの教えやメッセージをとらえていくのでしょう。
私は、自分の理解を伸ばすことを考えるようにと言われていますが、他の方にとってそのメッセージとは、どんな役割を果たすのでしょう?

内なる声 :うん。それは、「メッセージを読んで理解するということによって、その者の理解が進むというわけではないというところを、わかって欲しい」と思うところに留まる。
つまり、あなた方に何を話すときにも、つまりはあなた方が、その実践のとらえ方をどのようにおこなうかというところにゆだねられている、というふうに説明せざるを得ないと言える。
ところが、あなたも、そのメッセージを読む者も、その実践を進めるにあたって重要と思うところを見間違え、「理解すればそれで満足」という考えをもったり、その理解を忘れたりする自分に気づかず、その事実を傍らに置いている節をもつ。
どうしてそういう節をもつのかといえば、そうしているのが例えば、あなたにとっての擬似的な喜びになっているとすれば、「その擬似的な喜びについての理解が深まることにしかならない」ということに気づいていないためといえる。
理解とは、その理論を解し、その経験へ繋げるというところへ向かわずして得られるものではないということがわかってこないといけない。あなたにとって、理解とは、その理論を解すというところでは満足できないということが、わかってくるのではないか。
どう思う?


ワタクシ :そうですね。
つまり、頭の中でわかっていることと、きちんと実践できるようになっているかどうかということが、伴っていなければ無意味と思いますが、そのあたりをどうやって自分でわかることができるのですか?

内なる声 :あなたがその実践を伴わなければ、その教えを進めていくことが留まっていくということになる。
ただ、あなたが進んでいても、それを見る者がその理解を進められなければ、あなたではなく、その者が感じることが伴わなくなる。
つまり、教えが進んでも、あなたと共に進むかどうかは、あなたが決めれることではない。
だから、あなたができるのは、人を理解させることではなく、自分の理解を進めることだということ。
そのメッセージを、どのときに、どのように理解するのかを、あなたの発するものによって、変化させられるものと考えないこと。
そこが、わかっていれば、いいと思う。


ワタクシ :なるほど。だからこそ、こうしていろいろなメッセージを、いろいろな段階で発して、残していることに意味があるのかも知れないですね。
多くのメッセージの中、何を感じていただけるかということは、それを読む人にゆだねるしかないということですね。

内なる声 :そう。だから、そういうことを常に頭において、あなたの理解をどう進めるのかを考え、あなた以外の者を、その理解の範疇におさめること目的にするのではなく、ただ、「自分の理解というところを、それぞれに大切と考えるためのもの」として、何を提供するのかを見て欲しい。
あなたは、「自分」という者を理解する以外のことを、可能にしていない。
だからといって、他の者の考えを無として提供するのは、おかしいと思っているのだろう?


ワタクシ :はい。そうなんです。最近、そのあたりの考え方がよくわからないことも多いのです。

内なる声 :だから、あなたにとって、その考えが定まってくることが、大切と考えて進んで欲しい。
他の者は、それぞれの理解をどの段階において見るかという、自身の判断が必要になっていることを知っている。
それを、あなたは知ることはできない。
だから、ここにきて、あなたが読者への考え方について「どう考えればいいのかわからない」といったことをもつようになっていることを不思議に感じず、あなたがいまその段階にあるとして受け取って、さらに「自分」を理解しようとするかどうかということを考えてみて欲しい。


ワタクシ :そうですね。最近のこのブログの中でも、「どう考えればいいかわからない」という迷いが出てしまってましたね。そういうことを理解することがいま、私に必要なことなのですね。
わかりました。今日は以上ですか?

内なる声 :うん。また話していこう。では。

ワタクシ :はい。来週のブログ・メルマガは、お休みをいただきます。
個人サポートは続行しております。
それでは、よいゴールデン・ウィークをお過ごしくださいね。(⌒▽⌒)ノ


2011年04月22日

表現できるということ


ユキです。( ̄▽ ̄)ノ
「内なる声」との対話を更新します。


ワタクシ :ブログを更新したいのですが、今回はどうしましょう?

内なる声 :そうだな、あなたは、最近ちょっと進んでいるみたい。
その話をしてはどう?


ワタクシ :はい。最近、あなたとお話を重ねていることで、とても充実しています。
実は、以前にこのブログでの対話で、ハイヤーセルフや、「自分」のことについてあなたに教えていただいたことがありましたが、そのお話の続きをあなたとおこない、媒体を創れたらいいなと考えています。
ハイヤーセルフへの理解は難しいものだと思うので、ここで前のようにそのインタビューの内容をすべて公開するのではなく、きちんと媒体にまとめるという形によって、わかりやすくお伝えできるようになればうれしいと思います。
まだまだ時間がかかると思いますが、最近、あなたとそのお話を重ねていることによって、すごく充実を感じています。

内なる声 :そう。よかったね。
それにしても、あなたは「自分」という者を理解してない。
とにかく、その表現をしていく喜びについて、進めようとしたのはよかった。


ワタクシ :そうですね。私にとって、自分が理解したことを、いろいろな形で表現することが喜びだということが、わかってきました。
ところであなたは、いったいどこまでこのような知識を話してくださるのでしょう?

内なる声 :どこまでと言われても、別に決めてない。
好きにしていけばどう?


ワタクシ :はい。しかし、私が考えているレベルはもうとっくに超えている話をずっとされているので、メルマガにしても、どこまで続けられるのかなと思うのですが、どうですか?

内なる声 :そんなことより、あなたがもっと理解したいと思うことがあるのなら、続けれると知ることだね。
あなたにとって、その理解を深めるためにしてるのでは?


ワタクシ :そうですね。私は、自分が疑問に思っていること、そして、自分が進んでいくために必要なことをあなたに聞いて、理解できたことをまとめて、発表しているというスタイルで続けています。
だから、自分が理解したいことがなくなるまで、続けられるのですか?
そうだとして、理解したいことがなくならなければ、ずっと続けれるのですか?

内なる声 :そうではない?
どういうことを理解したいのかを考えているのなら、続いていくのでは?


ワタクシ :あなたの教えには、その答えをすべて用意できるものが、どこまであるのでしょう?
私は、もう充分にいろんなことを教わってきたけれど、まだ先があるというのが、どこまであるのか想像できないなと思っています。

内なる声 :そう?あなたがいま、理解できていることなど、知れてるのでは?

ワタクシ :え?うーん、そうかもしれないけど…
ずいぶんホームページでの説明も深まり、進歩しているし、他の人も役立ててくださっていると感じることも多いので…

内なる声 :だからといって、あなたの理解や他の人の理解が進んでいるかといえば、それはわからない。
書いてあることは理解しても、「自分」のことをきちんと見ていくのは、読むということではできない。
どうすれば、その「自分」の理解を活かし、きちんと進んでいけるかを考えないとね。


ワタクシ :ああ、そうですね。本当にそのとおりです。
だけど、あなたの文章を読んでいるだけで、きっとうれしいことや喜びに焦点をあてていくことにも気づけて、ラクになれると思っています。
私は、時々メールなどで、ご感想や喜びの声などをいただいています。
個人サポートもそうですが、きちんと役に立っているということを、伝えてくださる方が増えてきて、それがあたりまえになってきています。
あなたは、それについてどう思いますか?

内なる声 :あたりまえになったということについて、あなたは、どう思っているの?

ワタクシ :私ですか?えーと…
たくさんのメッセージや講座を更新することをしてきた結果、その知識が役に立っているとご報告いただける機会が増え、それが普通になっているということは、本当にうれしいことです。
そして、長くあなたの教えを一緒に学んでいるような感覚をもって、進んでいることをとてもうれしく感じています。
それから、あなたがそれを、もっと続けてくださると言われているし、レベルも上がってきていることが、本当に素晴らしいと思います。
こんなことができるなんて、本当に感謝しています。

内なる声 :うん。そう。よかった。
私は、あなたが理解することで、それが増えていくという意味を、きちんと理解してないと困ると思う。
だからあなたは、あなたの理解を進めて欲しい。
それを見て、理解を深めるのかどうかを、読者の様子によって、変化するのはやめること。
あなたが進めるのは、あなたの理解であり、読者の理解にあらず。
それを、どう考えている?


ワタクシ :え、はい…、そうですね。
でも、あなたに教わっている知識について、きちんとまとめて表現し、わかりやすく伝えられるかどうかというのは、私がどう理解してそれを表現するかというところを見ていかないといけないと思うのですが、違うのでしょうか?

内なる声 :そうだよ。あなたが、どのように理解するかによって、その表現を確かなものとすることができるのでは?

ワタクシ :それなら、もし、それが理解されないということがあれば、私の表現がつたないということでは?

内なる声 :何を言ってるの?
表現がつたないことなどない。
あなたが表現できるということは、それを理解しているということ。それを理解してないから、つたないものを創ってしまう可能性があるということ。
わからない?


ワタクシ :うーん。まだよくわかってないのかな?
私は、あなたが教えてくださったことを、もっといろんな形で表現していくことを望んでいるけれど、今はまだ、あなたの教えをうまくまとめて、表現したものを発表するということがあまりできてないですよね。
だから、どうすればうまくそれができるのかと、いつも考えているのですが…

内なる声 :まあ、そういうところがまだ理解できないからそうなるということ。
あなたにとって、それを表現できるということは、理解をもってやっていけることが増えるということ。
そのように悩んでいるのは、まだ表現できずにいる自分を感じていることの証明としてとらえていれば、よく自分の理解を進めるということを見ていける。そうでは?


ワタクシ :なるほど。私はまだ理解が及んでいないため、進めずにいるというところがあるのですね。
あなたの教えをもっと必要にしているのだとわかります。

内なる声 :教えというのは、あなたが理解しようとする中に、望んでいるものを得ていくものであり、同じ文章を読んでいる者でも、それぞれの理解というものは、まったく違うということ。
あなたが、あなたにとっての理解を進められるのであれば、その表現に表せるものを増やせるというよりも、あなたが満足して表現できるのであれば、あとは、それを見る者へとゆだねられるということ。
そういうことをきちんとわかっていく。


ワタクシ :はい。今回は、以上でしょうか?

内なる声 :では、また。

    

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