「いい気分ドットコム」HP | 「内なる声」とのエピソード

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2011年04月29日

経験へ繋げるということ


ユキです。( ̄▽ ̄)ノ
「内なる声」との対話を更新します。


ワタクシ :ブログを更新したいのですが、よろしいでしょうか?

内なる声 :うん。そうだな、今回は、あなたに必要なことを話してみよう。
あなたが、いまおこなっていることは、これまでの経験から得ているものを教訓として、何をするかを考えたものだね。
いま、あなたが、おこなっていることを挙げてみてはどう?


ワタクシ :いま活動していることを、挙げてみるのですか?
まずは、メルマガやホームページであなたの教えを更新していること。そして、このブログを書いていること。それから、「自分」についての理解を深められる媒体を創ろうとしていること。
それから、メールでのサポートや対面サポートやハイヤーセルフのメッセージを送ったり、日々いろんなことをあなたとお話したりすること。
そういう感じであなたに教わっていることの理解を深めています。

内なる声 :そう。その中に、あなたがよくわかってない作業はある?

ワタクシ :よくわかってない作業…?うーん、わかってないというか、あなたの教えを理解してやっていかないと、どれもできないかな。そうですよね。

内なる声 :じゃあ、あなたが、これまでそうしてきてよかったことは何?

ワタクシ :よかったこと?えー、それはもう、どれも私が驚くばかりのことですよ。
だけど、やっているうちに、慣れるというのは恐ろしい…。いちいち感動することなく、「ああ、更新しないと」と思ってやっていることが多いですね。実際、作業を始めると面白くなって、そして「疲れたー」と思って終えてる感じ。
だけど、私は早く、自分があなたの教えをわかりやすく表現できるようになりたいです。あなたが話すことを理解して、自分の表現によって、明らかにするということを進めたいと、いつも思ってます。

内なる声 :なら、私ともっと話をしないといけないね。
さて、ここで少し考えて欲しいけど、あなたがそんなふうにおこなっていることで、何が変わっているのだと思う?


ワタクシ :うーん。それは、私の理解が進んだり、人生においての理解を深められたり…そして、それを発信することができるのだから、読者の方が何かを得てくださることもあると思っています。
そうではないのでしょうか?

内なる声 :うん。そうなのかもしれないが、あなたが、コントロールすべきところはどこかということを、わかってないのが少し見えているということ。
あなたが、コントロールすべきはどこにある?


ワタクシ :最近、あなたはよく私にそういうことを言われてますが、コントロールすべきことをどこにおいていればよく、どこがいけないのか、ちょっとわからないのです。
私は、「自分の理解を進めればいい」と言われるので、そうしようとしてますが、何かいけないところがあるのでしょうか?

内なる声 :いけないのではない。あなたの理解を進めることを考えるのが、あたりまえなのである。
しかし、そういう考えの中、あなたの理解とは進んでいる?


ワタクシ :進んでいるかどうか、はっきりわからないけど、あなたの教えを聞いてまとめる作業をしているのはすごく勉強になるし、日々、いろいろ考える助けになっているのですが、それだけではいけないと言われているのでしょうか?

内なる声 :だから、そういう作業についておこなっているのを、「進んでいる」と、とらえているのはよくない。しかし、あなたがその作業を理解することで、進むための知識は得られる。
ところが、「そのような知識を必要」と考えるのならば、「その知識のない者は進めないのか?」というと、そうではない。あなたが「進む」というのは、常に自分の意図を反映させているということであるのを知って欲しい。
その方法・その考え・その知識についてのことばかり見ていては、あなたの理解は進められない。
つまり、あなたがしていることとは、「マニュアルを読んでいる」ことなのか、「そのマニュアルを活かし、操作することを楽しむのを進めている」のかという話。
ところで、あなたは、マニュアルを読みながら、実際のその方法を試すということをしている?


ワタクシ :はい。もちろん、あなたに教えていただいていることを、実践しようとして、またわからないことがあれば質問して、それをメッセージとして発信するというように、うまく回しているつもりなのですが…。

内なる声 :そう。ならば、その実践していることが進めば、教えも進むということ。ただ、その「教えが進む」ということが、あなたが「進む」ということではない。
あなたにとって「わからないことを質問していく」ということが必要なのではなく、「質問できるということは、そこまでの考えを理解できている」ということになっていると、わかるのだろう?
だからあなたは、「質問することがない」という状況になることがない。
つまり、あなたという存在の役割とは、必ずその教えを実践し、その実践後の確認をするという作業の提供をしようとするもの。
そうでない教えを、そこに記すだけの役割など必要ない。
いま、それを理解している?


ワタクシ :それは、いつも考えています。私が進まなければ、何もできないなと。
だけど、やっぱり難しいなと思っています。こういう作業を通して、本当にいろいろ感じています。あなたのメッセージを発信しながら、どうすればその実践ができるようになるかも、あわせて考えています。
だけど、読者の方々は、どのようにこの教えやメッセージをとらえていくのでしょう。
私は、自分の理解を伸ばすことを考えるようにと言われていますが、他の方にとってそのメッセージとは、どんな役割を果たすのでしょう?

内なる声 :うん。それは、「メッセージを読んで理解するということによって、その者の理解が進むというわけではないというところを、わかって欲しい」と思うところに留まる。
つまり、あなた方に何を話すときにも、つまりはあなた方が、その実践のとらえ方をどのようにおこなうかというところにゆだねられている、というふうに説明せざるを得ないと言える。
ところが、あなたも、そのメッセージを読む者も、その実践を進めるにあたって重要と思うところを見間違え、「理解すればそれで満足」という考えをもったり、その理解を忘れたりする自分に気づかず、その事実を傍らに置いている節をもつ。
どうしてそういう節をもつのかといえば、そうしているのが例えば、あなたにとっての擬似的な喜びになっているとすれば、「その擬似的な喜びについての理解が深まることにしかならない」ということに気づいていないためといえる。
理解とは、その理論を解し、その経験へ繋げるというところへ向かわずして得られるものではないということがわかってこないといけない。あなたにとって、理解とは、その理論を解すというところでは満足できないということが、わかってくるのではないか。
どう思う?


ワタクシ :そうですね。
つまり、頭の中でわかっていることと、きちんと実践できるようになっているかどうかということが、伴っていなければ無意味と思いますが、そのあたりをどうやって自分でわかることができるのですか?

内なる声 :あなたがその実践を伴わなければ、その教えを進めていくことが留まっていくということになる。
ただ、あなたが進んでいても、それを見る者がその理解を進められなければ、あなたではなく、その者が感じることが伴わなくなる。
つまり、教えが進んでも、あなたと共に進むかどうかは、あなたが決めれることではない。
だから、あなたができるのは、人を理解させることではなく、自分の理解を進めることだということ。
そのメッセージを、どのときに、どのように理解するのかを、あなたの発するものによって、変化させられるものと考えないこと。
そこが、わかっていれば、いいと思う。


ワタクシ :なるほど。だからこそ、こうしていろいろなメッセージを、いろいろな段階で発して、残していることに意味があるのかも知れないですね。
多くのメッセージの中、何を感じていただけるかということは、それを読む人にゆだねるしかないということですね。

内なる声 :そう。だから、そういうことを常に頭において、あなたの理解をどう進めるのかを考え、あなた以外の者を、その理解の範疇におさめること目的にするのではなく、ただ、「自分の理解というところを、それぞれに大切と考えるためのもの」として、何を提供するのかを見て欲しい。
あなたは、「自分」という者を理解する以外のことを、可能にしていない。
だからといって、他の者の考えを無として提供するのは、おかしいと思っているのだろう?


ワタクシ :はい。そうなんです。最近、そのあたりの考え方がよくわからないことも多いのです。

内なる声 :だから、あなたにとって、その考えが定まってくることが、大切と考えて進んで欲しい。
他の者は、それぞれの理解をどの段階において見るかという、自身の判断が必要になっていることを知っている。
それを、あなたは知ることはできない。
だから、ここにきて、あなたが読者への考え方について「どう考えればいいのかわからない」といったことをもつようになっていることを不思議に感じず、あなたがいまその段階にあるとして受け取って、さらに「自分」を理解しようとするかどうかということを考えてみて欲しい。


ワタクシ :そうですね。最近のこのブログの中でも、「どう考えればいいかわからない」という迷いが出てしまってましたね。そういうことを理解することがいま、私に必要なことなのですね。
わかりました。今日は以上ですか?

内なる声 :うん。また話していこう。では。

ワタクシ :はい。来週のブログ・メルマガは、お休みをいただきます。
個人サポートは続行しております。
それでは、よいゴールデン・ウィークをお過ごしくださいね。(⌒▽⌒)ノ


秋元ユキ@いい気分ドットコム | コメント(0) | トラックバック(0) | ■「内なる声」との対話

2011年04月22日

表現できるということ


ユキです。( ̄▽ ̄)ノ
「内なる声」との対話を更新します。


ワタクシ :ブログを更新したいのですが、今回はどうしましょう?

内なる声 :そうだな、あなたは、最近ちょっと進んでいるみたい。
その話をしてはどう?


ワタクシ :はい。最近、あなたとお話を重ねていることで、とても充実しています。
実は、以前にこのブログでの対話で、ハイヤーセルフや、「自分」のことについてあなたに教えていただいたことがありましたが、そのお話の続きをあなたとおこない、媒体を創れたらいいなと考えています。
ハイヤーセルフへの理解は難しいものだと思うので、ここで前のようにそのインタビューの内容をすべて公開するのではなく、きちんと媒体にまとめるという形によって、わかりやすくお伝えできるようになればうれしいと思います。
まだまだ時間がかかると思いますが、最近、あなたとそのお話を重ねていることによって、すごく充実を感じています。

内なる声 :そう。よかったね。
それにしても、あなたは「自分」という者を理解してない。
とにかく、その表現をしていく喜びについて、進めようとしたのはよかった。


ワタクシ :そうですね。私にとって、自分が理解したことを、いろいろな形で表現することが喜びだということが、わかってきました。
ところであなたは、いったいどこまでこのような知識を話してくださるのでしょう?

内なる声 :どこまでと言われても、別に決めてない。
好きにしていけばどう?


ワタクシ :はい。しかし、私が考えているレベルはもうとっくに超えている話をずっとされているので、メルマガにしても、どこまで続けられるのかなと思うのですが、どうですか?

内なる声 :そんなことより、あなたがもっと理解したいと思うことがあるのなら、続けれると知ることだね。
あなたにとって、その理解を深めるためにしてるのでは?


ワタクシ :そうですね。私は、自分が疑問に思っていること、そして、自分が進んでいくために必要なことをあなたに聞いて、理解できたことをまとめて、発表しているというスタイルで続けています。
だから、自分が理解したいことがなくなるまで、続けられるのですか?
そうだとして、理解したいことがなくならなければ、ずっと続けれるのですか?

内なる声 :そうではない?
どういうことを理解したいのかを考えているのなら、続いていくのでは?


ワタクシ :あなたの教えには、その答えをすべて用意できるものが、どこまであるのでしょう?
私は、もう充分にいろんなことを教わってきたけれど、まだ先があるというのが、どこまであるのか想像できないなと思っています。

内なる声 :そう?あなたがいま、理解できていることなど、知れてるのでは?

ワタクシ :え?うーん、そうかもしれないけど…
ずいぶんホームページでの説明も深まり、進歩しているし、他の人も役立ててくださっていると感じることも多いので…

内なる声 :だからといって、あなたの理解や他の人の理解が進んでいるかといえば、それはわからない。
書いてあることは理解しても、「自分」のことをきちんと見ていくのは、読むということではできない。
どうすれば、その「自分」の理解を活かし、きちんと進んでいけるかを考えないとね。


ワタクシ :ああ、そうですね。本当にそのとおりです。
だけど、あなたの文章を読んでいるだけで、きっとうれしいことや喜びに焦点をあてていくことにも気づけて、ラクになれると思っています。
私は、時々メールなどで、ご感想や喜びの声などをいただいています。
個人サポートもそうですが、きちんと役に立っているということを、伝えてくださる方が増えてきて、それがあたりまえになってきています。
あなたは、それについてどう思いますか?

内なる声 :あたりまえになったということについて、あなたは、どう思っているの?

ワタクシ :私ですか?えーと…
たくさんのメッセージや講座を更新することをしてきた結果、その知識が役に立っているとご報告いただける機会が増え、それが普通になっているということは、本当にうれしいことです。
そして、長くあなたの教えを一緒に学んでいるような感覚をもって、進んでいることをとてもうれしく感じています。
それから、あなたがそれを、もっと続けてくださると言われているし、レベルも上がってきていることが、本当に素晴らしいと思います。
こんなことができるなんて、本当に感謝しています。

内なる声 :うん。そう。よかった。
私は、あなたが理解することで、それが増えていくという意味を、きちんと理解してないと困ると思う。
だからあなたは、あなたの理解を進めて欲しい。
それを見て、理解を深めるのかどうかを、読者の様子によって、変化するのはやめること。
あなたが進めるのは、あなたの理解であり、読者の理解にあらず。
それを、どう考えている?


ワタクシ :え、はい…、そうですね。
でも、あなたに教わっている知識について、きちんとまとめて表現し、わかりやすく伝えられるかどうかというのは、私がどう理解してそれを表現するかというところを見ていかないといけないと思うのですが、違うのでしょうか?

内なる声 :そうだよ。あなたが、どのように理解するかによって、その表現を確かなものとすることができるのでは?

ワタクシ :それなら、もし、それが理解されないということがあれば、私の表現がつたないということでは?

内なる声 :何を言ってるの?
表現がつたないことなどない。
あなたが表現できるということは、それを理解しているということ。それを理解してないから、つたないものを創ってしまう可能性があるということ。
わからない?


ワタクシ :うーん。まだよくわかってないのかな?
私は、あなたが教えてくださったことを、もっといろんな形で表現していくことを望んでいるけれど、今はまだ、あなたの教えをうまくまとめて、表現したものを発表するということがあまりできてないですよね。
だから、どうすればうまくそれができるのかと、いつも考えているのですが…

内なる声 :まあ、そういうところがまだ理解できないからそうなるということ。
あなたにとって、それを表現できるということは、理解をもってやっていけることが増えるということ。
そのように悩んでいるのは、まだ表現できずにいる自分を感じていることの証明としてとらえていれば、よく自分の理解を進めるということを見ていける。そうでは?


ワタクシ :なるほど。私はまだ理解が及んでいないため、進めずにいるというところがあるのですね。
あなたの教えをもっと必要にしているのだとわかります。

内なる声 :教えというのは、あなたが理解しようとする中に、望んでいるものを得ていくものであり、同じ文章を読んでいる者でも、それぞれの理解というものは、まったく違うということ。
あなたが、あなたにとっての理解を進められるのであれば、その表現に表せるものを増やせるというよりも、あなたが満足して表現できるのであれば、あとは、それを見る者へとゆだねられるということ。
そういうことをきちんとわかっていく。


ワタクシ :はい。今回は、以上でしょうか?

内なる声 :では、また。

秋元ユキ@いい気分ドットコム | コメント(0) | トラックバック(0) | ■「内なる声」との対話

2011年04月17日

目指しています。


ユキです。( ̄▽ ̄)ノ
「内なる声」との対話を更新します。


ワタクシ :ブログを更新したいのですが、どうしましょう?

内なる声 :うん。では、しよう。
私は、普通に話す。あなたはいま、何を目指している?


ワタクシ :いま、目指していることですか?
うーん、あなたと話していく中で、目指すものを見つけたいと思っているのですが…

内なる声 :そう。あなたが、目指してることって、まだ見つけれないの?

ワタクシ :そうですね…まだ漠然としているというか…
はっきりとは見つけれていません。でも、それが見つかるような気がしています。

内なる声 :あなたにとって、自分の目指すものとは、いつ見つかると思う?

ワタクシ :それは、いつでも可能と思います。

内なる声 :それであれば、あなたが見つけれるまで、探せると感じていなければいけないのでは?

ワタクシ :そうですね。いつも、それを感じていたいです。

内なる声 :しかし、あなたは、目指すものがないまま、探すことをしたくなくなるよ。どう?

ワタクシ :え?うーん…私はそんなふうに思ってないですが…
探していても見つからないと、困ると思うかもしれないですね。

内なる声 :そう。でも、あなたは、見つかったとしてどうするの?

ワタクシ :見つかったら、どんどん前に進めると思っています。
だから、それを見つけるまで試行錯誤するのですよね?

内なる声 :だけど、いま、そうして探している間の気持ちが定まっていないのは、つまらないのでは?

ワタクシ :たしかに、試行錯誤している時って、気持ちが定まってないですね。次の目標や目的がないままに動くのって、どうしたものかなと思います。
やりたいと思うことが漠然とあって、その前に、これまでしてきたことや、読者の希望はどんなものかなと考え、自分の確たる目的を見つけるよりも先に、「何をしたらうまくいくか?」と考えていることがあって、進みづらいこともあります。
そういう時、何を目的とするかが定まってないと、わからなくなることも多いですね。だけど、それを理解するため試行錯誤するのではないかと思うのですが、どうでしょう?

内なる声 :うん。しかし、あなたがどんなことを「目的」とする「気持ち」にするかということが、それほど難しいものなの?

ワタクシ :あ、そうですね。また、いろいろややこしく考えてますね。
「目的」とする「気持ち」ってどんなものか、ということを、ややこしく考えすぎかな。

内なる声 :特に、あなたがすることを、ややこしく考えているみたい。
あなたが、どんな「目的」をもってするかということの影響とはどんなもの?


ワタクシ :影響ですか?うーん、あまり影響などないと言いたいところだけど、あなたが発言するものを発信するとき、いい加減なことを書いたり、聞き間違えたり、理解できてないことを発信することなく、きちんと文章を伝えたいと感じ、難しく考えているところはあります。
それは、誰があなたの言葉に影響されるかということに関わらず、この発信の、可能性というものを考えていて…「私にはわからないこと」を、邪魔しないようにしようと考えています。

内なる声 :そんなふうに考えるのはなぜかな?
あなたの「目的」が何かわからないまま、なぜ可能性を考えるの?


ワタクシ :それは、私の考えではないことを発しているためです。
私が発信しているあなたの教えとは、私が理解できたことであるけれど、私からの発信ではなく、自分の考えを超えているものがそこにあるので、考えを広く持つことを必要としているのではないかと、いつも考えます。
いろいろな立場の、さまざまなレベルの考えの中、どう判断されるのかというようなことを、私の現在の心境や理解によって、かたよったものにしないでいられたら、と思います。
それとは別に、自分の目標ってどんなことかなと探しています。
自分はいつも発信(送信者)であり、受信(読者)でもあると考えるため、難しいと考えています。

内なる声 :そう。そういうのって、どうなんだろう。
読んでる人は、どう感じるかな?


ワタクシ :うーん…あなたの文を載せている私と、私の個人の考えが別であるという理解を得ていただいてるのかどうかはわからないし、そこまで考えて読んでないかもしれないけど、やはり、それは私だけが抱えていることですよね。
まったく先の見えないこうした会話や、自分の知識を越えているメッセージを毎週更新しているので、やはり通常の作業の中での悩みとは、異なってきますね。

内なる声 :そうだね。だけど、あなたは私が何を言うときにも、あなたの意思に反することを通すべきと思う?

ワタクシ :それは内容によりますし、もしもあなたの文を載せるときに抵抗がある部分があれば言うと思いますが、別にないし、あなたの教えはやはりすごくよいものなので、理解していくのが難しいというところ以外には悩みはありません。
ただ、時間が経つにつれ、自分の目標をそこに入れていかないと、進めないと考えています。
あなたの教えは進んでも、私の歩みが進まなければ、読者としての自分がそこにいて実践できていかないと。

内なる声 :何?読者として、あなたがやるの?

ワタクシ :え?はい。私も、あなたに教えを受けている者として、がんばって自分がその教えを活かすことを目指しています。

内なる声 :そう。では、あなたが目指しているのは、私が教えていることの実践をしていくことではない?

ワタクシ :あ、そうですね。確かにそうです。そうできればいい。
冒頭で、「目指すものを見つけたい」と言いましたが、いま、「目指しています。」と自分で言ってますね。

内なる声 :そういうことがわかったら、「目的」とするのは、あなたの実践を進めるその「気持ち」といえる。
ちゃんと目指すものも、目標もできるのでは?


ワタクシ :そうですね。
まだ、少しわからないところはありますが、そんなふうに考えてみたいと思います。

内なる声 :うん。あなたが、どんなふうに考えを変えていくかを、もっと気持ちの変化と共に表していくことで、実践を目にしていく人は、そこから何かを得ていくかもしれない。
そして、あなたがわからないところを聞くことによって、あなたのことを理解する。
つまり、「自分」というものではない。あなたという者への理解。
そういうことを教えていく。


ワタクシ :え?最後のところ、何を言われてるのか、わからなかった。
「自分」ではない、私への理解?って何ですか?

内なる声 :人のことを見、何かを思うことと、自分が感じ受けることとは違う。
つまり、あなたが何を得てるかを見ていることは、「自分」への理解にはならない。「自分」が何を理解するかを、わかっておけばいい。
あなたが話していることによって、「自分」という者の理解を得る方法がわかるのであって、その者が「自分」を理解するのではない。
だから、あなたは、「あなたが理解すること」を目指すこと。
読者について理解するのも、読者にとってどうなのかを理解することも、また、あなたの文を読んだからといって、読者が「自分」というものを理解するのも、可能でない。
つまり、あなたがすべきは、いつもあなたの理解を進め、自分らしいところへ行こうとすること。
そういうところを、もっと話していこう。


ワタクシ :わかりました。今日は、以上でしょうか?

内なる声 :では。

秋元ユキ@いい気分ドットコム | コメント(0) | トラックバック(0) | ■「内なる声」との対話

    

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