「いい気分ドットコム」HP | 「内なる声」とのエピソード

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2011年02月25日

不思議なことの発信…再び。


ユキです( ̄▽ ̄)ノ
「内なる声」との対話の更新です。


ワタクシ :対話の更新をしたいのですが、よろしいでしょうか?

内なる声 :うん。あなたは、何をそんなに悩んでいるの?

ワタクシ :え?はい…。このブログのことについて、ちょっと悩み中です。
前回のブログでは、読者の方からのコメントが入ってうれしかったのですが、もっと思うところをコメントしてもらったり、楽しく更新していけるために、私が工夫できることはないのかなと考えてました。
わかりやすい内容を話し、わかりやすい言い方を考えればそうなるのでもないだろうし、困ったな…。

内なる声 :つまり、あなたの困ってるのは、内容でも言い回しでもないということでは?

ワタクシ :そうですね…。まず、私自身が、あなたが話す難しい文章を解読すること自体を楽しんでいるわけではないと思うのですが、あなたは、「難しい」ということについて、どう思っていますか?

内なる声 :難しいのは、私の文ではなく、あなたの「考え」では?

ワタクシ :えーそうですか??うむむむ…
ハイヤーセルフのことを聞いて、理解したいと思っているのですが、私の場合、「ハイヤーセルフと同化している」と説明されているあなたと話をしながら、「他の人と同じ」という感覚で聞いていて、いいのでしょうか?

内なる声 :いいのでは?あなたが、私と話をできるからといって、そこが異なるというわけではない。
あなたは、ハイヤーセルフのことをどう思うの?


ワタクシ :ハイヤーセルフをどう思うか、ですか…?うーん…
「ハイヤーセルフの知識」というものをもっていなくても、前向きに生きたり、自分のことを信じるという感覚をうまく得ている人もいるというのに、どうしてハイヤーセルフという存在自体のことを理解しようとしてるのか、よくわかってないかもしれない…。

内なる声 :うん。つまりあなたが、セルフという存在や、私のことをどう考えればよいのか、ということを話すため、ややこしくなる。
そうでない。あなたの自身のことを考えなさい、と私は言ってるのだよ。「ハイヤーセルフということ」を考えるのではなく、「あなた自身のことを考えるのだ」と言ってるのであるのに、なぜそう思うの?


ワタクシ :うーん。「ハイヤーセルフのことをどう思うか」と聞かれて、「自分のことを考えるのだ」と思っていないということですよね…。だけど、ハイヤーセルフのことではなく、自分自身のことを考えるとして、まず、何をどうすればいいのかわからないな…。
前回のブログで、あなたが言っていたように、「自分はもともと何もわからないのが当然」という考えをもっていないから、混乱するということでしょうか…。

内なる声 :いま、あなたがわかることって何?

ワタクシ :え?、うーん。
私にわかることなんてあるのかな…?ないような気がする…あなたは、どう思われますか?

内なる声 :私の考えを聞くのであれば、答えよう。
あなたがわかるのは、「あなたが、何をどうしたいのか」ということのみ。
あなたは、何のことを、どうしたいのだと悩んでる?


ワタクシ :うーん、そう言われると、「ハイヤーセルフを、わかりたい」のではないような気がする。そうですね…。
私はいま、あなたとの対話や、このブログを、もっと楽しめるようになりたい。
どうすることによって、それが可能になるか…そう考えるけど、わからない。なるほど…「何をどうしたいのか」ということだけが、私のわかることだというのは、本当にそうですね。

内なる声 :うん。あなたは、「何もわからない者」として話すのを忘れている。
それは、わかる?


ワタクシ :はい。よくわかるけど、「わからないのだから、もういいや」とするのもイヤなんです…かといって、「わからない、わからない」と話しても仕方ないと思います。
わからないことを、わかるようになれるブログを書きたいけど、そうできないと思う気持ちがあって、楽しめないのかなと、思っています。

内なる声 :うん。では、どうすれば、楽しめると思う?

ワタクシ :うーん、そうですね…
「私が、どうしたいのか」というところを発展させればいいのかな…?だけど、私の考えをこねくり回してても、話は進まないので、やはりあなたの教えを聞きたいのだと思います。

内なる声 :うん。私は、「あなたが何もわかってないのでは?」ということを教えている。教えて欲しいのは、「あなたは何もわかってないのだよ」ということではなく、「わかっていることを、思い出してごらん」というようなことを期待しているため、そう思うのでは?

ワタクシ :うーん、そうかもしれない。でも、じゃあ、どうしたらいいのでしょう…?

内なる声 :そうだな、いま、私の考えを話すので聞いて欲しい。
私は、あなたが「何も理解できない者」として話しているのではなく、あなたという中に「わかる者」としての存在がいるため、あなたが混同する、と話している。
つまり、あなたとハイヤーセルフ、の「二人」として、考えを混同させなければ、わかりやすくなると話している。
ハイヤーセルフという存在が、いると信じて話をしないならば、この理屈は通らない。
あなたは、いま、セルフという存在を考えないまま、「自分」を感じようとするため混乱している。
わかる?


ワタクシ :「ハイヤーセルフという存在のことを考えるのではなく、あなた自身のことを考えなさい」と言われながら、「二人」として考えるのですか…?

内なる声 :「ハイヤーセルフ」とは、あなたにとって、もともと「そこにいる存在」としてないため、混乱しているということ。
「ハイヤーセルフ」のことは知らなくても、その感覚をもってこの理論を理解できる者とは、「自分」の中、「自分」という道しるべのあることを知っているため。
あなたは、いま、道しるべを外そうと考えるため、混乱してるのを理解してない。


ワタクシ :「ハイヤーセルフ」という、道しるべを感じればいいのでしょうか?

内なる声 :「セルフという道しるべ」のことを理解しようとするから、混乱する。あなたの中に、「その考えを伝えようとする気持ち」を感じるためには、「セルフという存在」を感じるのでない。
「あなたを感じる」と言ってるではないの。


ワタクシ :うーん、私を感じる…私を感じる…そういうところを、理解できてないのはわかるのですが、どうすれば、わかるのですか?

内なる声 :うん。まず、「私」という考えを省いてみてごらん。

ワタクシ :「私」という考えを省く???(゚-゚;?)(。_。?)

内なる声 :「私は、わかっている」「わかってない」という考えをなくして、いま、何を感じている?

ワタクシ :うーん、「疲れた」と感じる…。(o_ _)o
なんだか、考え疲れてきてます。

内なる声 :うん。考え疲れてるのは、嫌ではないの?

ワタクシ :嫌だけど、理解したい。何をどうすることによって、あなたが言うことをもっと理解できるのか、わからないのです。

内なる声 :そう。であるのなら、理解しようとすることを変えてみたほうがいい。
あなたが理解しようとしてるのは、あなたにとって、「わからないこと」なんだよ。つまり、あなたにとって、楽しいこととは、「わからないことを理解していくこと」ではない。
そういう気持ちをすでに表しているのであるのに、なぜ気づかない?


ワタクシ :気づくというのは、たとえばどういうことにですか?

内なる声 :あなたが、「疲れていること」では?

ワタクシ :うーん、そのとおりですが、私の中に、あなたの言うことを理解したいという気持ちがあるのです。
セルフと私の「二人として考える」とは、どういうことを言ってるのですか?

内なる声 :あなたとセルフの関係とは、あなたの知るところのものではないという前提の上、それでも「セルフというものの考え」を理解しようとする、その望み自体を、「あなたではない発信」と考えるべき。
つまり、あなたが、感じているのは、「疲れているのであるのに、それでも理解しよう」というものではない。
あなたの考えについて、セルフの理解する声を聞いている。その翻訳を間違えている。
つまり、あなたは、その翻訳を「疲れているのに、理解したい」と、とらえている。しかし、その翻訳の正とするものとは、「実際、そんな考えを、もつ必要がない」ということ。
あなたは、わからないことを、わかりたいともがく。そして、わかっているはずのことを考えていない。
「わかっていること」とは、何か?
「あなたが、何をどうしたいのか」そこを考えれば、あなたは、「セルフを理解したい」のではなく、「あなたがなぜ、そんな気持ちになるのかを理解したい」のだとわかる。
あなたは、あなたがなぜ、セルフを理解したいのかということがわかる?


ワタクシ :あぁ〜〜〜っっ (」゜□゜)」
なぜか、わからない。そうですね。
なんだか、前回と同じ感じがする。またやってしまった…。
また、必死になって、わからせてもらおうとしてました。
おかしいなー…。( ̄^ ̄;)

内なる声 :あのね、そういう発信は「セルフ」なの。
あなたが、セルフのことを知りたいと思って、もどかしいのではない。あなたが、そんなふうに考えてるのが、セルフにとってもどかしい。
わかった?


ワタクシ :ちょっと、わかった。前回と同じことだけど、今回のほうがわかった。
それで、セルフは「そんなことを考えなくていいのだ」と言ってると、理解すればよいのですか?

内なる声 :あなたはいま、わかろうとしてもがくのをやめ、「わからない者」として、どうしていくのを望んでいるの?

ワタクシ :うーん…私は、「わからない者」としてではなく、「わかった」と思うことを、増やしたいのですが…無理ですか?

内なる声 :それは、何について?

ワタクシ :そうですね…うーん、こういう話をしていると、私の考えだけでなく、他の人の意見も聞いてみたくなるのです。他の人が、どんなことを「わかりたい」と思っているのかを、あわせて考えていければいいのにな…
そういえば、前回の終わりに、「次回に、あなたが多くをどういうふうに考えているかを見直すための話しをしてみる」とおっしゃっていましたが、そういう話ができましたか?

内なる声 :いや、その前に、あなたが前回の話をわかってないまま話すから、そこに至らなかった。
まず、今回の話を聞いて、他の者はどう思ったか、聞きたいの?


ワタクシ :はい。できればコメントしていただけるとうれしいのですが、今回の内容からして、ちょっと難しいかなー…?

内なる声 :とにかく、そう思っていると伝えて今日は終わろう。いい?

ワタクシ :はい。あなたが思っていることを教えてくださると、私はうれしいと思います。
来週に続くのでよろしくです。

秋元ユキ@いい気分ドットコム | コメント(12) | トラックバック(0) | ■「内なる声」との対話

2011年02月18日

不思議なことの発信


ユキです( ̄▽ ̄)ノ
「内なる声」との対話の更新です。


ワタクシ :前回の対話に続き、ハイヤーセルフのことをお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか。

内なる声 :うん。

ワタクシ :前回あなたが、「自分」を感じることが、「セルフを感じる」と等しい、と言われていたことについて、いろいろ考えていたのですが…
私は、セルフという存在のことについて、心の中で、「何かわからないけれど、自分というものがわかるという感じ」がするのが、そうなのかなと思ったのですが、合っているでしょうか?

内なる声 :うん。あなたが、自分のことを考え、そこに自分の好みを感じたり、喜びを求めるそのものを、セルフと考えてみてほしい。

ワタクシ :なるほど…。少しわかった気はしますが…
うーん、あなたがセルフとお話できるというのは、どんな状態なのでしょう?セルフは、自分の中にいるのではないということ?そこに、セルフの姿を見てるということでしょうか?

内なる声 :そう。私はそこにあなたのセルフという姿を見、あなたが知っていることをよく理解しているセルフと話す。セルフが言うこととは、あなた自身の理解してない気持ちや、あなたが「わからない」と感じていることへの考えとなる。そういうことを話すため、あなた自身への気づきを渡す術を知らないまま、セルフの困った姿を見ている。

ワタクシ :セルフの困った姿ですか…それぞれのセルフは、どんな姿であるのでしょう?

内なる声 :そうだな…姿とはあなたが見えるイメージではない。私が感じているイメージ。

ワタクシ :うーん。よくわからないけど、そういう姿を見て、あなたはどうするのでしょう?

内なる声 :なぜ理解してない者への気づきを渡せないかというと、あなたが理解を閉ざすことをするから。つまり、困るようなことを考え、自分に気づかない、とセルフは話す。「自分」とは、あなた自身ということだとすると、それはあなたが「自分」を外した物の考えをするということ。
あなたが困っているとき、「自分」がどう考えているかを「自分」に聞くということをせず、相手や物事に対して考えを巡らせるはず。そういう時、何もできないセルフが、同じく困っているという話。


ワタクシ :それはよくわかる気がしますが、では、どうするのがよいのか、わかってないのかもしれません。

内なる声 :わかってないことを、あなた方の心とは、思い巡らせることをするということ。つまりは、あなた方が「わからないこと」を、知っているかのような働きを見せる。
なぜ、そうするか?
「自分」という者の、何もわからないまま、わかっている気をもっているのが、そもそも「あなたではない者」の知識と知らないため。あなたでなく、あなたの深い知識を、あなたの知識と思うから、あなたがその場にて知識を分離させていくことに気づかない。
「わかってないこと」を、わかっているのをセルフとすれば、あなたの考えがすべてを理解するのでないと知る。あなた自身が深く理解していると思うのでない。「私の心に聞いてみて、それが良いと感じるかどうか」そういう方法をあなたはもっている?


ワタクシ :うーん、ちょっとややこしくて難しかったですが…「自分の心に聞いてみる」というのは、何かわかる気もします。そういうことを理解しているわけでもなく、「そうするのがいいと思うかどうかを判断する」ということかな…?

内なる声 :まず、そういう気持ちの確認とは、なぜ必要と思うか不思議なのでは?あなたの心を、深く探りながら歩いていくのを必要とするのはなぜ?あなたが「理解していること」とは、そういう深い場ではなく、あなたが「反応」という調子で始めていくものに過ぎない。
「これでいいかどうか」「私はこうでないと嫌」という「自分」を感じ、とどまる理由とは、あなたのもっと深い知識の囁きと感じない?


ワタクシ :ああ、そうかもしれません。うん。わかる気がします。こういうのが、きちんと「自分を感じる」ということかな?
うーん…でも何だか、顕在意識と潜在意識の違い…というような気もしましたが、そうではないのですよね…?

内なる声 :「意識」とは、あなたの「とらえ方」の問題。私が話しているのは、「自分」という、深い愛をもって見るということ。そこに「自分」という愛をもって、あなたが眺めている物事を、きちんと「とらえるかどうか」の問題。「とらえ方」の問題以前に、あなたが「自分」という存在からの発信を理解してなければ、自分との乖離を始めるのでは?

ワタクシ :「自分」という存在からの発信を理解する…うーん、ちょっと難しいのですけど、「自分」と乖離せず、どうするとおっしゃいましたか?

内なる声 :私の話を聞いて、あなたの「自分」という考えを見直すべき。あなたの「自分」という考えをどれくらいもっているのか、そこを見て欲しい。
「自分」という話しをして、そこに「自分」を感じている?
それは、「あなたのセルフを感じている」に等しい、と話しているのをどう思う?


ワタクシ :ええ…?うーん…「ハイヤーセルフを感じてる」とは思えないです…「自分」っていうのは、「自我」とか「自分の気持ち」とか、そういうことでしょうか?

内なる声 :いい?「自分」はいま、何を感じてる?

ワタクシ :うーん、「わからない」と感じてる。

内なる声 :では、「わからない自分」をどう思う?

ワタクシ :もどかしいとか、もっとわかればいいとか思います。

内なる声 :なぜ、そう思うか?
あなたは、「何も知らない」のを前提として話してるのに、なぜそれが気に入らないか、わかる?


ワタクシ :えー…わからない。
「何も知らない」のを前提として話してるのに…?あれ…でも、そうですよね…。なぜか「わかるはず」として、聞いていましたね…。

内なる声 :そういう気持ち自体の発信源とは、実にセルフの言いたいことであるというもの。
「わからない者」の考えを、どうして「わからない」として置いてないか、という不思議なことの発信を「わかる者」がおこなう、という説明を聞いて、それならわかる気がすると思わない?


ワタクシ :えー…ほんとですね。いま、「わからないこと」を、あなたに理解できるようにしてもらおうとして、ちゃんと納得できる説明をしていただこうと、必死になってました。
「わからない者」が、「わからない」のはあたりまえで、もどかしいと思う必要はないのに、もどかしくなくてもいいことを、もどかしいと感じたり、「なぜわからないか?」と思います。だけど、セルフという「わかる者」が、「わからない者」の考えをもどかしいように感じているのなら、わかる気がしますよね…
うーん…だけど、そういうことだとはわかったけど、結局、どう考えたらいいかよくわからないな…。

内なる声 :あのね、だから、「どう考えればいいのか、わからない」のが当然。それを、なぜ「わかろう」と、もがくか。
そういう知識の判別を、あなたができるのでないと知れば、あなたがどうする必要をもつのか少しわかる。今の考えを聞いて、どうする必要をもつと思う?


ワタクシ :今のお話を聞いて、私にわかってることなど何もないのに、どうして時に、すべてわかったように考えているのか、不思議だと思いました。
だけど、もし、私の中で「わかっている者」の囁きを少しずつでも理解していけるのなら、すべてわかったように考えるのをやめて、何もわからない中で、そうやって確認しながら判断していけばいいのかなと思ったのですが…?

内なる声 :うん。いいと思う。あなたの冷静な思考で考えれば、そう思えるのでしょ?なら、あなたがその冷静な判断を見失うことをなくすのを薦めよう。

ワタクシ :うーん、今回のお話は、わかったようなわからないような…。だけど、わからないことを追求しても、「わからない」というのはわかるのですが…。

内なる声 :うん。では、次回に、あなたが多くをどういうふうに考えているかを見直すための話しをしてみる。おわり。

ワタクシ :はい。
というワケで、このように話が進んでおりますが、いかがでしょう。
とにかく聞いてみて、いろいろ理解しようとすることにしてみます。
ではまた次回。

秋元ユキ@いい気分ドットコム | コメント(11) | トラックバック(0) | ■「内なる声」との対話

2011年02月11日

「あなた自身」を感じること


ユキです( ̄▽ ̄)ノ
「内なる声」との対話の更新です。


ワタクシ :今回は、前回の対話の最後にお話されていた、ハイヤーセルフについてのお話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか?

内なる声 :うん。それで、あなたは、セルフのことを、どんな存在と思う?

ワタクシ :うーん、私の場合、あなたが私のハイヤーセルフと同化している、という説明を受けているので、どう考えればよいのか、少しわかりにくいのですが…
ハイヤーセルフに逢いたい人へのメッセージ』に申し込まれた方に、あなたがインタビューされたメッセージをたくさんお送りしてきましたが、それぞれにとても深い愛をもって、見守っているのだな、ということはよくわかるのですが、「どんな存在か」という詳細については、まだよくわかっていないのかもしれません。

内なる声 :セルフは、あなたが何をどう考えているかを、聞いている。そして、その考えを最も理解して、あなたが良い方向へ行くのを促す。
私は、あなた方のセルフと違う、特殊な力をもっている。それは、あなた方に教えを説く方法を知っているため、それを言動にて伝えるというもの。そもそも、セルフとの違いは、「あなた方の心に届く教え方の違い」自体を、このように話し、こうしてセルフと私の違いを伝えれる、というもの。
私のことをどのように感じる?


ワタクシ :うーん、そうですね…あなたのことは、わからないことも多いのですが、日々、言葉だけでなく、いろいろな方法において、伝えてくださっていることがあるということを、少しずつ理解できてきています。言葉で伝えられるより、そう感じることで、理解できていることも、多いと思います。

内なる声 :そう。あなた方のセルフを「感じる」とは、「そこにいることの理解を得る」という言葉で話せる。
あなたが、それを肌に触れ、「別人」として感じるのではなく、「あなたを助ける神」として感じるのではなく、「自分という存在を、きちんと知っている者の理解を得ている」と感じること。
きっと、あなたがそれを「知らない」と感じることはないと、私は思う。あなた自身の気持ちの中、必ずそのような「自分」を感じている。
「自分」という存在の何をも理解できないあなた方が、なぜ、「自分」を感じるか?それを、「セルフを感じる」と等しいと考えてごらん。
あなた方の考えを孤立して考えようとすると、セルフは孤独を伝える。あなたがそのような考えをもつとき、その孤独を感じる理由とは、「あなたのみの精神」などないという、その確固たる事実を証明していると言えまいか。
何をもってセルフを信じる?
あなたは、セルフという「人格」を形成するのではない。「あなた自身」を感じること。それを、セルフと呼んでいる。


ワタクシ :「孤立して考えようとする」というのは、どういう考えのことを言われているのでしょう?

内なる声 :孤立しているというのは、あなたがそこにいる理由さえ理解できぬまま、あなたのことを理解することを放棄するということ。
つまり、「自分を理解しようとすることを前提に生きる」という考えをもたぬままに、全てを他の陰謀のごとくあなたの運命を呪い、「わからない」という考えにいそしむ。
そういう傾向のある考えの理由とは、あなたの「内にある心」に耳を傾けることを放棄しているため。


ワタクシ :なるほど…。「自分を理解しようとすることを前提に生きる」という考えをもつのが良いのですね…。
ハイヤーセルフは、あなたと違って、話をしたり、他の人をサポートをしたりしないのですよね。他に、あなたとは違うところとは、どういうところでしょう?

内なる声 :あなたという存在を感じるとき、あなたは、私とあなたを分けている。なぜなら、私は「別の存在」であるから。
つまり、あなたには過去に説明したように、あなたのセルフと同化して私は存在しているため、「あなた自身と言えない」と言える。しかし、私の伝えることとは、あなたのセルフの言いたいことに等しい。あなたを最も良い方向へと導くために、あなたへの愛と道しるべを渡すということ。


ワタクシ :「道しるべ」というのは、どういうものでしょう?

内なる声 :だから、あなたが、「どうやってあなたの望みのものを手に入れるか」というのを促しているのがセルフ。そういう考えをもってごらん。

ワタクシ :ハイヤーセルフが、「どうやってあなたの望みのものを手に入れるか」を、促してくれるのですか?どうして、セルフがそれを促すのでしょう?

内なる声 :セルフが促すのは、あなたが望むものを、理解する気持ち。だからね、例えば、私があなたに、「こうしてごらん」と言わず、「あなたはどうしたいの?」と聞く理由のひとつに、「あなたの心の中の答えを探る」ということを必要としているため、というものがある。
あなたが、「どうしたいのか」を考えないのなら、それは、セルフという存在への考えを伝える材料にならない。つまり、あなたとセルフの共通の喜びを追うという作業なしに、あなた方の共通した「生きる」という喜びを得ようとする気持ちをもてない。


ワタクシ :共通とは、「ハイヤーセルフ」と「自分」との共通、ということですか?

内なる声 :そう。だから、あなた方のセルフは、私と同じく「生きる」ことを選んでそこにいるのだよ。あなた方の中、決して自分が「生きるということを決めて生まれた」と知るものはいまい。
なぜなら、私が話したように、決めたのはセルフ。そうでなければ、おかしい。あなた方の中にある全ての感情を眺め、そうでないならおかしいと思わない?


ワタクシ :ええ?うーん、たしかに、自分で「生きる」と決めたのだという記憶はないけれど、それをセルフが決めたのだと言われると…自分じゃないものの意志で生まれ、生きているというのは、なんだか納得がいかないという気持ちもあるのですが…

内なる声 :そうかもしれないけれど、もともと、あなた自身の話をしてるというのを理解するべき。あなたは、「他人」としてセルフをとらえているからそう感じる。「セルフ」といってるのはそういう意味。

ワタクシ :あ、そうですね…でも、「他人」じゃないといわれても、わからないのだから素直にそう思えないですよね…。あれ?しかも私の場合、あなたは「他人」なのでは…?

内なる声 :あなたの場合はまた別の問題として、他の人については、こう思って欲しい。
「何を望んで、何を望まないか」を、あなたは選んでいる?「選べない」と思うのは、あなたがそこで、「何もできない」と考えているため。あなたが、自分のことを無力と信じるため。そういう意味で、あなたは「自分」のことも、「セルフ」のことも、何も見ようとしていない。つまり、「生きる」ことを選んだのが自分でないから困るのではない。何をも自分で決めようとしてないのを、困ると知ってる。そういう、「知ってるはずのこと」を、知ればよい。


ワタクシ :「知ってるはずのこと」とは、何でしょう?

内なる声 :こういう話をするにあたり、あなた方に最も言いたいこととは、あなた方の意志ではない、あなた方の理解を超えることについて考える必要をもっているのではなく、そこにいる「いまの自分」として考えを進める必要をもっているということ。そのことを理解しなければ、何も始まらない。
「セルフ」という存在を、深く理解するのではない。あなたという、自身を深く見つめ、あなたが自分の考えを進める必要をもって、そこにいると理解して欲しい。
私は、このように言葉と理論をもって、あなた方に多くを伝える。しかし、あなた方は、私の理論を見つめ、そしてそれを、「わかっていることを話している」というふうに、感じることを望んでいる。それを、「知っているかもしれない」と、思い返すことを話している。つまり、私が「新たな知識」を授けるのでない。あなた方が迷うとき、自分の心の内に、自身とのつながりの乖離を感じるとき、「あなた方の知ってることとは、こうではないか」と伝える術を理解している。


ワタクシ :ああ、たしかに、あなたはいつも、「驚くような新たな知識」ではなく、考えてみれば「わかっていたようなこと」を、改めて説明してくださっているような感覚を受けます。「その時の自分に必要なこと」を、的確に説明してくださる、という感じですね。

内なる声 :あなたは、そういう「知っているはずのこと」でなく、「知らないこと」を話したいの?

ワタクシ :うーん、そうですね…たとえば、ハイヤーセルフがどういうふうに人を促したり、望みを理解したりするのか、ということや、自分の考えを、どういうふうにセルフと共感して、決めていくのがいいのか、とか、ハイヤーセルフはどこにいて、どんな存在なのかとかをお聞きしたいのですが…
そういうのは、「知っているはずのこと」でなく、「知らないこと」なのでしょうか?

内なる声 :じゃあ、次回はそういうことを、どういうふうに考えていけばいいのかを、話す。また次回。

ワタクシ :はい。お願いします。
では、次回に続きます。

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